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劉備は荊州時代幸福だった
『新解釈・三國志』で、劉備が諸葛孔明を軍師にしたのは荊州時代ですが、この頃、劉備達の食糧状態は良かったようです。それは、劉備が荊州の劉表の厄介になる事8年間にも及び、その間に劉備は馬に乗らなくなり、太腿に肉がついて肥った事を嘆いている詩を残しているからです。長い事、食うや食わずだった劉備が肥満できるわけなので、兵士もそれなりに食料にありつけて、幸福だった可能性は高いと思います。
三国志ライターkawausoの独り言
どうして劉備が国もないのに、趙雲のような家臣を養えるのか?という三国志ビギナーの皆さんへの答えは、劉備は、傭兵隊長として雇われ先から給与が支払われているから大丈夫。でした。
『新解釈・三國志』では、いい加減な人物として描かれていた劉備ですが、見えない部分では部下を食わせる為に食糧確保に奔走するなど目に見えない努力をしていたのでしょう。部下は当然、そういう劉備を知っているので、劉備がグータラしていても、愛想を尽かすことなく最後まで従ったのかも知れませんね。
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