ヒトラーは「我が闘争」の税金から逃走ってホント?

2021年1月9日


 

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ジェームズ・カワポン

 

20世紀世界の狂気の独裁者と言えば最初に名前が挙がるのがアドルフ・ヒトラーです。極右政党、国家社会主義ドイツ労働者党、ナチスを率い、1933年に政権を掌握してより12年間ドイツを独裁的に支配し、第2次世界大戦の引金を引きました。

 

しかし、ヒトラーには政治家以外にも顔がありました、それが作家としての顔で、代表作「我が闘争」はドイツ国内で200万部も売れたそうです。

 

ところがヒトラー、本が売れた事に有頂天になって税金対策を考えなかったので、税務署から莫大な納税を請求され、税金逃れに悪戦苦闘する羽目になるのです。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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愛国者ヒトラードイツ軍に志願

 

アドルフ・ヒトラーはオーストリア出身で、1914年に勃発した第1次世界大戦にドイツ軍に志願して従軍。伝令兵になります。最終階級は伍長でしたが、勇敢な性格で志願兵としては異例の一級鉄十字勲章も受けていました。

 

しかし、戦線で毒ガスを受けて負傷、野戦病院で治療を受けている間に戦争は終わります。ドイツは敗北して莫大な賠償金を課せられました。愛国者だったヒトラーは失意の淵に沈み、戦後は魂が抜けたような状況だったそうです。

 

ヒトラーの元上司は、そんなヒトラーを心配し、軍の諜報員としてヒトラーを国家転覆を企む極右政党、ドイツ労働者党の諜報員として潜入させます。これが、ヒトラーの運命を大きく変えてしまいました。

 



ドイツ労働者党に入党する

君主論

 

ドイツ労働者党は、党員50名程度の弱小極右政党でしたが、ヒトラーはその演説を聞くうちに感銘を受け、正式に党員として加入。その弁舌の巧みさから、次第に党幹部として出世して行き、1920年には軍を辞めて党員一本で活動するようになり、1921年にはドイツ労働者党の党首となります。言うまでもなく、このドイツ労働者党は、後の国家社会主義ドイツ労働者党、ナチスの前身でした。

 

当時のヒトラーは武装闘争路線を諦めておらず、1923年にはミュンヘンで武装蜂起して軍事政権の樹立を目指しました。しかし、ナチスの過激路線に警察や軍は賛同せず、武装蜂起は失敗してヒトラーは逮捕。ドイツ労働者党も非合法組織として解散させられ、ヒトラーは禁錮5年の判決を受けて、ランツベルグ刑務所に服役します。

 

脱税の歴史

 

ヒトラー口述筆記で我が闘争を書き上げる

水滸伝って何? 書類や本

 

しかし、ミュンヘン一揆の失敗はヒトラーに多大な示唆を与えました。ヒトラーは武装闘争路線を放棄し、民主主義の手続きを踏んで合法的に政権を奪取し、その後に議会を停止して一党独裁を目指す事を決意したのです。

 

さらに、獄中の暇に任せて、ヒトラーは口述筆記で一冊の本を完成させます。それが「我が闘争」でした。

 

我が闘争は、ユダヤ人に対する誹謗中傷を除けば、強いドイツを取り戻そうというありきたりな内容でしたが、意外にもヒトラーオリジナルの言葉はほとんどなく、当時の極右活動家の演説で、ヒトラーが気に入った言葉を大量に引用したという、今でいえばキュレーションのような手法で執筆されました。

 

ところが、こんな名言コピペみたいな本が当時のドイツでは爆発的にヒットしました。ヒトラー個人が手にした印税は、123万ライヒス・マルク、現在の日本円で換算すると25億円にもなる巨額なものでした。

 

刑務所を出たヒトラーは無一文になるどころか、個人としては大金持ちだったのです。

 

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我が闘争が売れた理由

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では、我が闘争がどうして当時のドイツ人にウケたのでしょうか?

理由はベルサイユ講和条約における連合国の騙し討ちがありました。

 

第2次大戦と違い、第1次世界大戦でのドイツは無条件降伏ではありません。ベルリンが連合軍に制圧されるような事はなく、社会は健全に機能していました。

 

しかし、莫大な戦費が経済をガタガタにし、労働者の暴動やストライキが頻発していたので、連合国側のアメリカ大統領ウィルソンからの無賠償講和という提案に乗り、いわば余力を残して降伏したのです。

 

ところが、ウィルソン大統領の無賠償講和に、ドイツ近隣のフランスやイギリスが猛反対。さらに連合国の戦時公債を大量に購入していたアメリカの財閥も債権回収が不可能になる事を恐れてウィルソンに圧力を掛け、ドイツに国家予算の20倍にもなる330億ドルの賠償金を課したのです。

 

もちろん、この騙し討ちにドイツ人は怒り狂いました。そして、その怒りの矛先が向かったのが、ドイツ国内のユダヤ人だったのです。当時のドイツはヨーロッパ1ユダヤ人に寛容な社会であり、多くのユダヤ人が移住していました。

 

国を持たないユダヤ人は勤勉で克己心が強く、ドイツの人口の1%に過ぎないユダヤ人は社会的にも高い地位に就き、収入も一般ドイツ人の3~4倍もありました。

 

巨額の賠償金を課せられ、失業して貧しい暮らしをする多くのドイツ人の嫉妬心は、国内のユダヤ人に注がれ、ユダヤ人の悪口が持てはやされる世相が生まれます。

 

そこで発行されたのが、ヒトラーの我が闘争だったのです。戦争に負けたのは、ユダヤ人金貸しのせいだ、ユダヤ人は世界を征服しようとしているという我が闘争の荒唐無稽なユダヤ脅威論は多くのドイツ人に共感と共に受け入れられ、本は飛ぶように売れたのでした。

 

 

税金に苦しむヒトラー

まだ漢王朝で消耗しているの? お金と札

 

我が闘争がベストセラーになったヒトラーは有頂天になります。しかし、1925年には有頂天から奈落の底に突き落とされました。我が闘争の印税、123万ライヒス・マルクに60万ライヒス・マルクの税金が掛かったのです。

 

日本円に換算して12億円になる巨額の税金にヒトラーは青くなりました。我が闘争の印税に、そこまで巨額の税金が掛かるなんてヒトラーは考えていなかったのです。

 

「ちっきしょーめー!そんな税金払えるわけねーだろ 考えがたーらんかったー!」

 

と某総統閣下シリーズのように怒鳴ったのかどうかは分かりません。しかし、金がないヒトラーは、この税金から闘争ならぬ逃走をし続けました。

 

2004年12月のロイター通信などの報道によると、ドイツ・バイエルン州の税金問題の専門家が、ミュンヘンの公文書館で政権獲得前のヒトラーの納税記録を発見。

この納税記録によると、ヒトラーは1925年から政権獲得の1933年までの8年間、ミュンヘンの税務当局から納税の督促を受け続けている事実が分かるそうです。

 

しかし、1933年にナチスが政権を獲得するとミュンヘンの税務署長はヒトラーに忖度(そんたく)。これまでの税金滞納を帳消しにするという書簡をヒトラーの側近に送りました。この忖度はヒトラーの心証を良くし、税務署長は1ヶ月後にドイツ税務本庁のトップに昇進。給料は41%もアップしたそうです。

 

自動車もベルヒデスガーデンの別荘も節税対策

 

ただ、ヒトラーも税務署の督促にNein(ないん)(No!)と言い続けただけではなく、今でいう必要経費の概念で消費をしています。それが当時、とても高価だった自家用車を購入したり、ドイツバイエルン州の避暑地、ベルヒデスガーデンに別荘、ハウス・ヴァッヘンフェルトを購入したりという行動に繋がっていました。

 

ヴァッヘンフェルトは、4万ライヒス・マルクもしたそうですが多額の税金の前には、焼け石に水でした。結局ヒトラーは20万ライヒス・マルクを支払ったのみで、残りの40万ライヒス・マルクの税金は政権奪取時に、忖度と言う形で踏み倒した事になります。

 

ゆるい都市伝説ライターkawausoの独り言

kawauso

 

あの狂気の独裁者が印税から来る多額の税金督促に悩んでいた。そんな歴史の一コマを知ると、ヒトラーに奇妙な親近感を感じます。それも、完全に税金を踏み倒すのではなく、1/3でも支払ったり、経費で落とす為に高価な買い物をしたり苦心する様子を見ると「政治指導者が税金滞納とは情けない…何とかしなくては」と苦悩し奔走する、素のヒトラーの性格が垣間見えるようです。

 

実際ヒトラーは大衆扇動の為、大金持ちから高額の税金を取る事を政策に掲げていたので、自分が税金を支払っていないと発覚し騒がれると都合が悪い点もあったのです。

 

参考文献:脱税の世界史 大村大次郎 宝島社

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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