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この記事の目次
官渡での大決戦・袁紹
官渡の戦いのイメージが「大軍の袁紹軍が小軍の曹操軍に負けた」というイメージになっていることが多く、
曹操の天下への前哨戦……とぼやかれていることもありますが、袁紹軍は当時、曹操の最大の敵であり、天下の中でもかなり強大な軍を保有していました。
袁紹は強大な軍を率いて曹操と対峙、戦力をじわじわ削り、周囲の勢力も使って曹操の後方も脅かす。曹操は決戦を望むも一度大敗北、官渡に籠城します。袁紹は周囲を取り囲んで周辺に砦を築き、曹操に撤退を考えさせるものでした。
この後で配下関連でやらかした袁紹は曹操に敗北するも、再び態勢を立て直してさあ……という時に亡くなります。
こんな抜群のタイミングで倒れたりしなければ、曹操の天下はなかったかもしれない……それほどまでに曹操を追い込んだ名将、そんな袁紹もまた、曹操のライバルの一人と言っても良いでしょう。
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「この世に英雄は君と余だ」
「この世に英雄は君と余だ」曹操は劉備にそう言いました。
この言葉から良く分かるのが、曹操は劉備を認めており、評価していたということです。
劉備の人生を見ていくと、曹操に負けず劣らずの波乱万丈さです。また劉備の特徴として、主君をどんどんと変えて言っているのが目に付きます。
これが良いか悪いかは置いておいて、これはこの時代に劉備自身が「後ろ盾」がなかったことの証明でしょう。劉備は漢王朝の末裔を自称していますが、それはあくまで自称であり、曹操のような後ろ盾となる血縁関係者がいませんでした。
しかしそんな中でも諦めることなく、後に蜀という国の皇帝にまでなった劉備。だからこそ曹操も認める、最大の好敵手であったと思います。やはり見返すと劉備が曹操の好敵手として頭一つ抜きんでていると思いますが、皆さんはどうでしょうか?
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英傑の条件
個人的に、三国志の面白さとして人間関係があります。英傑にはライバルが付き物で、そういった存在は自分を高めてくれるだけでなく、深みを増してくれるものです。
何よりも後世の世で見た時に「面白い」。面白いからこそただの歴史だけでなく、講談として語り継がれてきたのでしょう。そう思うと英傑の条件には「好敵手がいること」は付き物ではないでしょうか。
振り返って曹操を見てみると、劉備だけでなく、数々の強大な敵がいました。だからこそ曹操を英雄足らしめたのではないかと思います。
三国志ライター センのひとりごと
今回は曹操のライバルと言えば……?について考えてみました。ここで名を挙げたのはあくまで一例、もしかしたら「この人の方が……」という人物はもっといるかもしれません。
もちろん曹操だけではなく、多くの武将たちにライバルという存在がいたことでしょう。そんな武将同士の関係を考えつつ、論じ合い、より三国志の世界をディープにしていってみるのも楽しいですね。
更なる深みへ……とぷん。
参考文献:魏書張繡伝 蜀書先主伝
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