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この記事の目次
劉邦の行動
もちろんこの劉邦の行動にもフォローがいくつかあります。
「子供たちより夏侯嬰が大事だよ★アピール」
「儒教における孝を子供たちに実行させた
(親のために自ら馬車を降りなければいけない)」
「本当は子供たちが自分から降りたの間違い」
現代から見れば非難されそうな劉邦の行動は、実は儒教においては間違いなく、また部下を大事していたことの表れというもの。そう考えると高祖、劉邦の行動は決しておかしなものではありません。
そして同時に、その血筋であると常からアピールしている劉備もまたそれを真似て、長坂の戦いで我が子を放り投げたのではないかな、と思うのです。
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見方を変えれば
こういった時代や宗教の観点で見方が変わってしまうのが歴史の面白さですが、もう一つ面白いのが夏侯嬰の行動。
夏侯嬰はある意味で主君の行動の邪魔をしているのですが、それは同時に「主君の子を守る」という忠臣の行動でもあります。そしてその行動は後の彼の功績の一つともなりました。言い方を変えれば「主と敵対しても主(の血筋)を守った」とも言えるでしょう。
これもまた、忠臣としての美しさです。劉邦の行動は当時の価値観を必要として考える必要がある、一方で夏侯嬰の行動は現代にも繋がる美徳である……と思うと、正に歴史。現代とは違う時代であり、現代とは違う価値観であり、そして現代にも繋がる美徳がある……と思うと夏侯嬰の行動も、趙雲の働きもまた、別の輝きを感じられるようになりますね。
夏侯嬰の行動
最後にちょっとフォローすると逃走中に劉邦は子供たちを拾って馬車に乗せています。最初から捨てるつもりではなく、一度は拾い上げているのです。後の行動ばかり非難されることがありますが、最初から捨てるつもりではなかった……ということを覚えておいてあげて下さい。
またこの一件で夏侯嬰は呂后に感謝され、劉一門の覚えもめでたく、後の粛清対象にならなかった……という説もあります。
そして何の因果かその血筋は後の夏候惇、夏侯淵に繋がった……とも言われていますが、真相はまあここでははっきりとするのは止めておきましょう。
三国志ライター センのひとりごと
劉邦と劉備を見ていくと、似ている所もあり、似てない所もあり、というのが正直な話です。しかし子供の扱いのように、まるで行動をわざと似通らせたかのように見える場面もあります。
そしてそれを考えていくと……「劉備って頭いいな」と思いながら、今日も筆者は三国志の沼に沈み込むのでした。
とっぷん。
参考文献:史記 第8高祖本紀 蜀書後主伝
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