高祖劉邦と劉備の「子供の扱い」について考察




はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

劉邦と張良と陳平

 

高祖(こうそ)とも呼ばれる漢王朝(かんおうちょう)を開いた劉邦(りゅうほう)

 

劉備の黒歴史

 

そしてその血筋を受け継いでいると噂の(しょく)の皇帝、劉備(りゅうび)。実は彼らの共通点にその「子供の扱い」があった?掘り下げてみると何だかちょっと面白いこのお話。今回はその逸話を紹介していくと同時に、その面白さも見ていくとしましょう。




長坂の戦い

曹操から逃げ回る劉備

 

さて時代をざっくりと進めましてこちらは有名な長坂の戦い(ちょうはんのたたかい)。長坂の戦いで曹操(そうそう)軍から逃亡する劉備は、妻子とはぐれてしまいます。

 

阿斗を劉備まで届ける趙雲

 

それを発見して保護したのが後に五虎(ごこ)将軍に任命される趙雲(ちょううん)将軍。最早生きては再開できぬと思われた我が子を無事に保護、喜んだ劉備は……我が子を放り投げ「大将を失うところであった」と言いました。

 

ブチギレながら阿斗を投げる劉備

 

これが長坂の戦いで見られる、劉備とその子供のエピソードです。

 

関連記事:長坂の戦いの全容はあっさりめ?劉備と趙雲の逸話などはどこまで本当なの?

関連記事:長坂の戦いの時、趙雲はどのくらい活躍した?二つの三国志を比較してみた




この行動、どう思う?

はじ三倶楽部 自分が気づかなかった新たな視点に気付かされた人

 

で、実際にこの行動、皆さんはどう思いますか?

 

「赤ちゃんを放り投げるなんて!」

「それでも人か!」

「親失格だわ!」

 

はじ三倶楽部 スマホの誤変換でイライラする参加者(はてな)

 

とは思いませんか?もしくは一度はそう思ったことはないでしょうか?

このエピソードに関してはいくつかフォローがあります。

 

「我が子を大事に思うあまりに大事な部下を失うかもしれなかった大将としての反省」

「そもそも儒教では子供が親のために働くべきなので敢えて子供を粗末に扱った」

「子供よりも趙雲の方が大事だよ☆アピール」

 

ポイント解説をするセン様

 

と、いう風にいくつか理由もあるのです。そして筆者はこの場面にもう一つ

「劉備は劉邦の真似をした」を唱えたいと思います。

 

劉邦の逃走

項羽

 

さてさて時代はずっと遡って劉邦の時代。ある時劉邦は項羽(こうう)に敗れ、逃走していました。思えば曹操から逃亡している劉備と境遇が似ていますね。

 

劉邦

 

そんな中で逃走の最中、息子と娘と再会、二人を馬車に乗せて逃げ続けます。しかし迫る追手に劉邦はこう考えました。

 

「馬車を軽くしなければ逃げられない」

 

劉邦は息子と娘を馬車から突き落として、逃げる速度を上げようとしたのです。

 

関連記事:背水の陣は韓信だけではなかった!項羽が使った悲愴の決意を示した行動とは?

関連記事:40代の劉邦が20代の項羽を討ち天下統一することは天命だった!?

 

夏侯嬰「何してんだ!!」

夏侯嬰(かこうえい)

 

この劉邦の行動に驚いたのが、御者をしていた夏侯嬰(かこうえい)

 

「危険だから、馬車が遅くなるからと言っても子供は捨てられない!!」

 

と馬車に二人を拾い上げて乗せました。劉邦は怒ってまた子を突き落とし、夏侯嬰が拾い……怒った劉邦は夏侯嬰を何度も斬ろうとするも、そうしてしまえば御者がいなくなるため止めて……

 

一度ならず数回繰り返したと言います。正直、そんなことしている暇があったら逃げることに集中した方がいいのではないかと思うのは素人考えでしょうか。

 

【次のページに続きます】




次のページへ >

1

2>

関連記事

  1. 劉禅
  2. 法正と夏侯淵
  3. 孟獲
  4. 孟節(南蛮討伐)
  5. 羅憲
  6. 劉備にアドバイスをする法正

コメント

  • コメント (0)

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。




はじめての三国志企画集

“はじめての三国志企画特集"

“はじめての三国志公式LINEアカウント"

“光武帝

“三国志データベース"

“三国志人物事典

鍾会の乱

八王の乱

三国志って何?




PAGE TOP