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劉備に犬馬の労を尽くす趙雲は…
趙雲が豪族階級であれば、劉備の家族につきっきりで行動し、長坂の混乱の中で劉備の夫人と阿斗を保護するような並外れた命を賭けた忠誠心は期待しにくいでしょう。
やはりそこには、張飛や関羽に共通する侠の精神が垣間見えており、儒教的な価値観ではなく相互扶助の任侠道が濃く感じられます。
趙雲は、富裕な平民ではあり馬術の心得はあるものの士大夫階級ではなく、その為に名士を優遇する袁紹ではなく、アンチ名士の公孫瓚の陣営に参加し、同じく豪族ながら侠の人間と交わりを持つ劉備に惹かれていったと考えられるのです。
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三国志ライターkawausoの独り言
kawausoが思うに趙雲の出自は富裕な平民で身分的には張飛や関羽と同じ階層。しかし、趙雲の子孫が先祖の家格を上げる為、趙範の嫂、樊氏を嫁に勧められた話を創作したと推測します。
ちょっとガッカリではありますが、もし趙雲が豪族で士大夫階級なら、最初から公孫瓚じゃなく袁紹につき、劉備と出会う機会もなかったし、会ったとしても根無し草傭兵の劉備についていく事は無かったのでは?と思いました。
参考文献:正史三国志
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