趙雲が万能として劉備や諸葛亮に愛されたわけ


 

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郭嘉

 

三国志には色々な武将が登場しますが、万能の武将と言えば誰でしょうか?

 

男気溢れる趙雲

 

おそらく様々な武将たちが思い浮かぶことでしょう。しかし今回は独断で、趙雲(ちょううん)に付いてお話をさせて頂きます。彼がどうして万能の武将なのか?

それを趙雲の生涯と合わせて紹介していきましょう。

 

自称・皇帝
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趙雲の活躍と生涯~前編~

公孫サンに味方をする趙雲

 

趙雲は官民(かんみん)義勇兵(ぎゆうへい
)
を率いて公孫サン(こうそん)の配下となっていました。

 

劉備に褒められる趙雲

 

この時に劉備(りゅうび)と出会い、気が合ったのか寝食(しんしょく
)
を共にしていたようです。

 

趙雲と劉備が初めて出会うシーン

 

ここから正史での記述はありませんが、注釈(ちゅうしゃく
)
の「趙雲別伝(ちょううんべつでん)」によるとその後は故郷に帰った所で劉備と別れ、その後に運命的に再開して劉備の部下になりました。

 

阿斗を劉備まで届ける趙雲

 

また長坂の戦い(ちょうはんのたたかい
)
と言えば単騎駆けや夫人、阿斗(あと)の救出が目立ちますがこれはあくまで三国志演義の演出であり、正史三国志では「夫人を保護し、阿斗を趙雲が抱えた」のみの描写に留まります。

 

趙雲の生涯~後編~

曹操軍の輸送車を襲う趙雲

 

その後は暫く空き、北伐(ほくばつ)曹真(そうしん
)
と戦って敗北するも、大きく負けはしなかったと記載されています。ここでも趙雲別伝になりますが、趙雲は物資まで全て持ち帰ったのでそれを諸葛亮(しょかつりょう)は趙雲に与えようとしましたが、趙雲は負けたのに恩賞(おんしょう
)
を出してはいけないと進言したことで諸葛亮(しょかつりょう)は感動したとのことです。

 

寿命を全うした70歳の趙雲

 

その後、229年に死去しました。ここまででご理解頂けると思いますが、趙雲の正史三国志での記述は多くが趙雲別伝に記載されていることであり、実際の趙雲伝はかなり簡素なものとなっています。

 

有名なエピソードでは

黄忠の様子を見に行く趙雲

 

例えば定軍山の戦い(ていぐんざんのたたかい
)
黄忠(こうちゅう)の見せ場が強い印象ですが、趙雲もここに同行していたようです。三国志演義でも諸葛亮が「何かあれば趙雲に」と趙雲を黄忠に付いていかせています。

正史三国志_書類

 

しかしここに同行したというのは正史三国志ではなく、趙雲別伝の注釈に乗っている記述のみです。この趙雲別伝では黄忠を救出する、見事な撤退戦をするなど活躍が書かれていますね。

 

一騎討ちは三国志演義での脚色が強い

三国_趙雲と劉備_ちょううん_りゅうび_人物

 

三国志演義では一騎討ちのシーンが多いですが、もれなく趙雲にも様々な一騎討ちが描かれています。特に趙雲の見せ場とも言える長坂の戦い(ちょうはんのたたかい
)
では夏侯恩(かこうおん
)
を討ち取り、曹操(そうそう)が彼に与えたと言われる青紅剣(せいこうけん)を手に入れるシーンが挿入されていますね。ただし実際に夏侯恩という武将はいませんので、趙雲のエピソードに(はく)を付けるためのものでしょう。

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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