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寒門とは?地元を追われ魏で出世した成り上がり単家とは?

2021年7月19日


 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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ラッキーだった厳幹と李義

 

しかし、何事にも例外があるように、寒門でも幸運な人々はいました。それが厳幹と李義(りぎ)で、彼らは馬翔郡の東県の出身でしたが、幸いにも東県には名族がいない事が幸いし、馮翊の名士、桓・田・吉・郭の四姓に加え、元侍中の鄭文信らに徳性を認められて名士の仲間入りをしています。

 

ところが彼らにしても故郷では名族の動向を気にしていて「青二才どもと出世は競わん」と所属替えを願い出て、出世競争のトラブルを回避していました。

 

ここから見ると、例え名士の仲間入りをしても後から入る分には新参とみなされ、何かとやっかみの対象になって、やりにくかったであろうことが推測されます。

 

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ぐっすり眠れる!ながら三国志

 

三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

今回は寒門出身者たちに立ち塞がる地元の圧力と、形見の狭さについて解説しました。

 

郭嘉の悪い点を指摘する陳羣も評価する曹操

 

曹操や曹丕は、能力主義を貫いて有能な寒門を保護し厚遇しましたが、魏が大きくなるにつれ、地方の豪族や名士層の協力が必要不可欠になり、寒門が歴代出世し続けるのは、難しかった実情が見えてきます。

 

実は頭がイイ賢い張飛

 

こうしてみると、名士の劉巴(りゅうは)に交際を断られた張飛(ちょうひ)のケースなんて、まだ差別としては優しい部類に入るのかも知れませんね。

 

参考文献:魏略

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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