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孫権は嘘つき!合肥の戦い、その兵士数に物申す!

2021年10月9日


 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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どうなんですか?呉王様!

鄧禹と兵士

 

赤壁の戦いで勝利して人員が増えて、そして合肥で大敗したからこその後の5万とも言えますが、それにしてもやはり合肥の戦いでの10万はやはり多すぎるように思えます。

 

つまりは数を盛っているのではないか?

実際には半分くらいだったのではないか?

 

後継者争いで悩む孫権

 

どうなんですか呉王様!?数を水増ししたんですか!?もしかしなくてもまたお酒ですか!?遼来!!

……と、うっかり呉王様に責任追及をしてしまいましたが、この件に関しては孫権は悪くないとだけははっきりしておきましょう。

 

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赤壁の戦い

 

 

魏伝にあり

魏志(魏書)_書類

 

実際に「孫権は10万の兵を率いた」という記述はありますが、これは魏伝、張遼伝に記載されているものなんですね。古来より、勝った敵の数は大きく記すもの。敵が強大であればあるほど、それに勝った自分たちすごい!となるからです。だからちょっと前後を考えても、この孫権が率いた軍は盛られているのではないかなーと思った次第です。

 

呉志(呉書)_書類

 

とは言え、当時孫権が率いてきたことを考えると、7000より少なかったということはないでしょう。また張遼たちが奮戦したことも、間違いのないことです。決して張遼の奮戦が偽りと言いたい訳でなく、この記録にはちょっと物申したい、と思った筆者の戯言とお思い下さいね。

 

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民間伝承の三国志

 

 

三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

実際に、兵士の数だけでなく戦の勝敗、結果も伝によってまちまちで、細かい所まで見れば齟齬(そご)が出てくるのは仕方のないことです。ただそうであっても、見比べてみて出てくる重箱の隅を楊枝でつつかずにはおれないのが三国志マニアの性ということで……今回はまとめさせて頂きました。

 

現代でも人気な張遼

 

とは言え本当に合肥の張遼は凄すぎて、これは三国志演義でも正確には書けないわ……なんて思ってしまう筆者でした、ちゃぽん。

 

参考文献:魏書張遼伝

 

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張遼

 

 

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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