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【ミニコラム 呉編】吾粲の人命救助


監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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曹休

 

西暦222年の洞口の戦い(どうこうのたたかい)の時、吾粲(ごさん
)
呂範(りょはん
)
(がせい
)
と共に魏将の曹休(そうきゅう
)
を防ぎました。

 

藤甲軍(南蛮兵士)

 

しかし、たまたま大嵐に遭遇し、船を繋いでいる綱が切れてしまい、 多くの船が岸に打ち上げられ魏軍に奪われたち、沈没したりしました。 その中でもいくつかの大船はなんとか波間に浮かんでいましたが、 そこに溺れた呉の兵士が救いを求めて縋りつこうとします。

 

しかし、船の沈没を恐れた船の乗員は矛と戈で縁に縋りつこうとする 兵士の指をついて受け付けませんでした。しかし吾粲と黄淵だけが乗組員に命じて溺れた味方を救助させました。

 

大船団を率いて呉を攻める王濬(おうしゅん)

 

幕僚は恐れて、船が重くなり必ず傾きますと止めさせようとしますが 吾粲は 「それがどうした!船が沈めば共に死ぬだけだ! 溺れている味方をどうして見捨てられよう」と言い 構わずに人命救助を続け、100名あまりの呉兵を救いました。

 

孫和

 

こんな立派な吾粲ですが二宮の変では直言をして孫和を庇い危険を冒して陸遜に状況を知らせたので孫覇派に讒言され孫権により投獄され処刑されました。

 

朝まで三国志2017表情 kawausoさん04 哀

 

色々と呉は惜しい人を二宮の変で失っている そんな気がしてなりません。

 

二宮の変

 

呉の武将

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

-三国志の雑学