【ミニコラム 呉編】吾粲の人命救助


 

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曹休

 

西暦222年の洞口の戦い(どうこうのたたかい)の時、吾粲(ごさん
)
呂範(りょはん
)
賀斉(がせい
)
と共に魏将の曹休(そうきゅう
)
を防ぎました。

 

藤甲軍(南蛮兵士)

 

しかし、たまたま大嵐に遭遇し、船を繋いでいる綱が切れてしまい、 多くの船が岸に打ち上げられ魏軍に奪われたち、沈没したりしました。 その中でもいくつかの大船はなんとか波間に浮かんでいましたが、 そこに溺れた呉の兵士が救いを求めて縋りつこうとします。

 

しかし、船の沈没を恐れた船の乗員は矛と戈で縁に縋りつこうとする 兵士の指をついて受け付けませんでした。しかし吾粲と黄淵だけが乗組員に命じて溺れた味方を救助させました。

 

大船団を率いて呉を攻める王濬(おうしゅん)

 

幕僚は恐れて、船が重くなり必ず傾きますと止めさせようとしますが 吾粲は 「それがどうした!船が沈めば共に死ぬだけだ! 溺れている味方をどうして見捨てられよう」と言い 構わずに人命救助を続け、100名あまりの呉兵を救いました。

 

孫和

 

こんな立派な吾粲ですが二宮の変では直言をして孫和を庇い危険を冒して陸遜に状況を知らせたので孫覇派に讒言され孫権により投獄され処刑されました。

 

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色々と呉は惜しい人を二宮の変で失っている そんな気がしてなりません。

 

二宮の変

 

呉の武将

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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