陳宮の最期
そして陳宮の最期は、三国志演義、そして三国志の中でもかなり上位に入る名シーンです。処刑に向かう陳宮に曹操は声をかけ、どうしてこうなったのかと尋ねると「この男(呂布)が自分の言うことを聞かなかったからだ」と答えます。
これだけ見れば自分の才能に自信を持ち、それを用いらなかった呂布を蔑む、傲慢な人物にも見えるかもしれません。しかし続く曹操の家族はどうするのかという問いかけに陳宮は「真に天下を治める才覚を持つ者は人の親を殺したり、妻子を殺して家を途絶えさせたりしないものである。母の生死は貴方の手中にあるもので、私にはないものだ」これを聞いた曹操は陳宮を涙ながらに見送り、そして陳宮は曹操を振り返らないまま、処刑場へと向かいました。
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陳宮と曹操
曹操が最後に陳宮に声をかけたのは、どうにかして助けたかったのではないでしょうか。どんな理由があって曹操の元を陳宮が離れたのかは分かりませんが、曹操はかつて自分の下で働いていた陳宮のことは良く分かっていたでしょう。
そして呂布の配下となって自分と敵対したからこそ、より陳宮のことを理解していたでしょう。味方していたことだけでなく、敵対していたからこそ、曹操は陳宮のことを良く知っていた。だからこそ最期に声をかけて涙を流したとするならば、曹操にとって陳宮はそうするだけに相応しい人物であったのでは、そう思わずにはいられません。
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三国志ライター センのひとりごと
改めて振り返ると、陳宮は面白い人物です。どれだけでも良く描くことも、どれだけでも悪く描くこともできます。
しかし過程が不明ながら、その最期はしっかりと記録されている。だからこそ後の世で多くの人の目に留まる人物となったのではないか……そう思えるような、人物ですね。
ちゃぷり
参考文献:魏書呂布伝 武帝紀 荀攸伝
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