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蜀滅亡後の戦い永安攻防戦を呉サイドから見てみると意外な事実が判明

2022年1月4日


 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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呉討伐に繋がる

大船団を率いて呉を攻める王濬(おうしゅん)

 

孫休の懸念は西暦280年に的中します。司馬炎は六軍を興して呉に大規模侵攻しますが、この時王濬が龍驤(りゅうじょう)将軍として大船団を仕立てて長江を下り、またたくまに建業に至り孫晧(そんこう)を降伏させたのです。

 

羅憲を抜けず撤退する陸抗

 

呉としては羅憲から奪えなかった永安が最終的に呉にトドメをさした事になり、なんともやりきれない感じになった事でしょう。

 

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三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

今回は永安攻防戦について解説してみました。

 

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志(本)書類

 

羅憲は晋書にも列伝がありますが、蜀や晋の立場から書いたもので孫休を火事場泥棒と断罪しています。しかし、それは一面的であり孫休も永安が魏に奪われた結果、呉が窮地に陥る事を座視できずにやむなく出兵した背景があります。

 

大船団を率いて呉を攻める王濬(おうしゅん)

 

ましてや、呉の滅亡がまさに永安を通過した王濬の大船団によりもたらされたという事実は孫休の危機感を皮肉にも裏付けていると言えるのではないでしょうか?

 

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永安の戦い

 

 

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

-羅憲
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