この記事の目次
張遼と交換すると何も起きなかった
最後は張遼です。張遼もまた呂布から曹操に下った人物。その人となりも曹操に愛され、数々の……ちょっと羅列したらとんでもないことになるくらいの功績を立てた人物。
そんな張遼と徐晃をとりかへばやしたら!
分かってる!!
何も変わらないね!!!
まあこれはちょっと頭をよぎっただけなんですが、結局の所は何となく「徐晃は曹操のとこ以外に行かせたくないな~」と思ってしまった結論をお話したかっただけです。テーマとは外れてしまいますが、たまにはこういう妄想も良いでしょ?ということでお許しし下さいませ。
関連記事:【張遼ファン必見】なぜ張遼はこんなにカッコいいのか?
関連記事:張遼はなぜ人気なの?張遼が愛されるその高い評価に迫る!
讃えあいに理由がある
曹操と徐晃とのやり取り、とても好きです。
正に名将は名君を知り、名君は名将を知る、と言ったとこでしょうか。
もしくは、「千里の馬は常に有れども伯楽は常に有らず」という方が近いかもしれません。
徐晃は優秀でした。疑いなく、名将であったでしょう。同時にそれは、曹操であったからこそ名将となったのでしょう。徐晃もそれを良く分かっていたからの曹操への言葉と忠義と思うと、とても美しいですよね。
関連記事:北方謙三『三国志』の曹操は過激?万民の安寧を図るために「後漢の腐った血統」を入れ替える事に奔走した反英雄
関連記事:曹操は賈逵に暗殺された?曹操の葬儀を主宰した司馬懿の謎に迫る
三国志ライター センのひとりごと
「千里の馬は~」を蛇足で説明すると、「優秀な人材はどこにでもいる。だけどそれを見極め、育てられる人材は滅多にいない」となります。
三国志の時代、数々の名将たちがいました。しかしその名将たちが名将であったのは、それを見抜いて引き立てた名君に出会えたからこそです。何が凄いかと言うと、恐らく徐晃はそれを認識していたのではないかということ。本当にこの二人好きだなぁと、今だから言いたい筆者でした。
どぼん!
参考文献:魏書徐晃伝
関連記事:徐晃の戦績ご覧あれ!派手な活躍ほぼ無し!だけど、ミス無くこなす徐晃