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創作での趙雲の孫、石勒とトレード
おいおい三国志どこいったの?と言われそうですが、石勒にはちゃんと理由があります。なんと石勒は趙雲の孫なのです!元々は兄たちと逸れてしまい、石家に引き取られて石勒となった彼は、後に劉備の孫である劉淵の下で活躍することになったのは正に天命!これは趙雲ととりかへばやをしても殆ど変わらないな!
……というのはまあ三国志後伝のお話であり、フィクションですが。とは言え石勒があの時代にいたら司馬家はどうなっていたかな?
そんな風に少し思った石勒とりかへばやでした。
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趙雲は没個性なので重宝された
繰り返しますが、趙雲は正史に殆ど記録がありません。しかし活躍がなかった訳ではなく、少ない記録からその性質は読み取ることができます。
そして思うのは、短い記録からも読み取れる、忠義と優等生な気質。割と問題児が多く、人ではないけど手はかかる……そんな蜀で、趙雲は大事な存在となったのではないかな、と思います。なのでとりかへばやすると、その瞬間は分からなくてもあとからじわじわ効いてくる……そんな趙雲のイメージができましたね。
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三国志ライター センのひとりごと
趙雲、記録は少ないけどそれでも良い人、というイメージがあり、また三国志演義のイメージから正史のイメージが余り離れていない、という人物です。こういう人物像、珍しいですよね。
ただ他人に譲ってしまうような思慮深い面があるので、そういう面で正史での記録が少なくなってしまったのかな、と筆者は想像してます。そしてその性格はとりかへばやしても変わらないだろうな……と思ったとりかえばやでした。
どぼーん。
参考文献:蜀書趙雲伝 趙雲別伝
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