夏侯惇に見出された韓浩、「恩師を人質に取られても関係ねぇ」エピソード


 

 

やはり決断力が全てを解決する

実は文官タイプだった夏侯惇

 

因みに夏候惇は無事。つまり結果論とは言え、韓浩は軍規を乱すことなく敵を討ち倒し、将軍の命も救ったのです。これは夏候惇から曹操に伝えられ、曹操はその決断力の高さを高く評価しました。

 

これ以降、曹操は「もし人質を取られても構わずに敵を倒せ」と命を出したことで、逆に曹操たちは人質を取られることが亡くなったと言います。

 

韓浩はかつて、妻の父親を董卓(とうたく)に人質に取られて臣下になるように迫られた際にもこれを拒否しています。どんな状況下でも決して屈さない、それが彼の心の一本柱だったのかもしれませんね。

 

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宦官

 

 

 

革命

曹操

 

また、彼は曹操に、曹操の軍にある進言をしたことでも有名です。乱世の中で村々は荒れ果て、耕作放棄地も多く、また故郷を戦乱の中で失ってしまった流民たちも多くいました。韓浩はその放棄地を国で管理し、彼ら流民に貸し与えて収穫物をいくらか徴収することで、安定した兵糧確保を行うことを進言したのです。

 

三国志 兵糧攻め 村人

 

当時の兵糧確保は必要になると徴収、もしくは進軍した先で略奪、というもので、兵糧不足になることも多かったのです。韓浩の進言した屯田制は曹操軍に大きな利益をもたらすことになり、長く曹操軍の戦いを支えるようになったのでした。

 

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ほのぼの日本史

 

 

三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

ご紹介した韓浩は、魏の臣下の一人です。しかし彼自体には伝はなく、夏侯惇の伝に付随した文、そして魏書にしかその記述は見られません。これは彼の能力、活躍が劣っていたということではなく、魏という国にはそれだけ数多の名将たちが多くおり、あくまでそれらと比べると彼の記述を削ることになったということでしょう。

 

改めて魏の人材の豊富さを再確認した筆者でした。

 

センさんが三国志沼にドボン a

 

どぼん!

 

参考文献:魏書夏候惇伝 魏書

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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