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夏侯惇の養子扱いの理由
理由として一番に考えられるのがこれでしょう。夏候惇は三国志演義では出番がある方と言っても、序盤の方が多いです。というか、後半になるといつの間にかフェードアウトしています。
しかし夏侯淵はつい先日(でもないけれど)蜀と戦い戦死した武将、その息子が父の後任として漢中の守備に就いて蜀と戦う……その後の展開を知らなければ夷陵の戦い並みに燃える展開でしょう!
諸葛亮の北伐を盛り上げる展開としてこれ以上はないのではないでしょうか。
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【北伐の真実に迫る】
ドジな夏侯惇を隠す為に養子扱いに
もう一つ考えられる話として、夏候惇のフォローもあると思います。何せここから醜態を晒してしまう夏侯楙、しかもその後は夏侯淵の息子である夏侯覇が蜀に亡命して活躍してしまいますからね。読者から見れば「夏侯淵の息子は出来が良いのに夏候惇の息子は……」とついつい比べてしまうことでしょう。
現に夏候惇は嘗て博望坡の戦いで大敗北をしてしまった際に、多くの戦死者の責任を取るために自ら縄に囚われるなど、失態してもそのフォローをされている人物です。なので息子である夏侯楙の一件にもメスが入ったのではないかと思うのですが……どうですかね?
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三国志ライター センのひとりごと
因みに三国志演義で夏侯楙を押し付けられた夏侯淵のフォローですが、武芸に優れていたにもかかわらずやや慎重さにかけ、しかしながら立派に戦死した夏侯淵。
その息子として出てきた夏侯楙の失態を見て一番に「父親の夏侯淵は欠点があったとはいえ勇猛果敢に戦ったのに……」となると思うので、こちらもそれなりに便宜が図らわれていると思います。
この実子養子問題は至る所で見かけますが、夏侯楙の関係はちょっと疑問に思ったので今回ちょっと考えてみました。よければ皆さんもこの夏侯楙の実子養子問題について考えて見て下さいね。
どぼん!
参考文献:魏書夏侯淵伝 魏略
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