劉備が大勝利した博望坡の戦いを語ろう

2021年5月14日


 

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劉備と的盧

 

三国志演義では戦下手として知られる劉備(りゅうび)

 

夷陵の戦いで負ける劉備

 

正史三国志でも夷陵(いりょう)で大敗するなど、大掛かりな戦争では負けている事が多いようです。しかし劉備の敗北は、相手が曹操(そうそう)陸遜(りくそん)のような大物だからであり、それ以外の相手に対してはかなりの勝率を誇っています。

 

忙しい方にざっくり解答01 kawausoさん

 

今回は、そんな劉備の勝利の中でも、一番劇的な博望坡(はくぼうは)の戦いを紹介しましょう。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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曹操のダミー遠征

三国志の武器 霹靂車 曹操

 

曹操は西暦200年官渡(かんと)の戦いに勝利、さらに倉亭でも袁紹(えんしょう)を敗戦させます。

 

曹操にコテンパにされる袁紹

 

袁紹は2度の敗戦の痛手もあり202年には病死、袁紹は後継者を定める前に病死したので袁家は長男の袁譚(えんたん)派と末子の袁尚(えんしょう)派に分裂します。

袁尚と対立する袁譚

 

曹操は袁譚と袁尚を何度も撃ち破り連戦連勝、諸将はこのまま袁家を滅ぼすべしと勢いづきますが、軍師の郭嘉(かくか)は、袁譚と袁尚を追い詰めすぎるといがみ合いを捨て団結するので倒すのが厄介になると主張。

郭嘉

 

「南の劉表(りゅうひょう)を攻撃するフリをして、袁家への圧迫を減らし袁譚と袁尚に好きなだけ骨肉の争いをさせてから攻略しましょう」と進言しました。

 

 

曹操は大乗り気になり、曹洪(そうこう)于禁(うきん)夏侯惇(かこうとん)と共に劉表の領内に進撃、西平に駐屯します。途中で袁譚が袁尚と内輪もめを再開し曹操に援軍を要請したので、曹操は引き返して鄴を目指し、曹操軍は曹洪が引き継ぎ、舞陽(ぶよう)陰葉(いんよう)堵陽(とよう)博望(はくぼう)を次々と陥落させます。

 

行軍する兵士達a(モブ)

 

ダミーとはいえ、かなり本格的な規模の軍勢のようであり、劉表が本気で反抗してくるまで、取れる所まで取ってやれという曹操の思惑が伝わってきます。

 

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劉備出撃

 

 

この事態に劉表は慌てて傭兵隊長の劉備を新野から出撃させました。

 

後継者をまだ決めれない劉表

 

ここから劉備は、瞬く間に博望、堵陽を奪い返し、荊州(けいしょう)豫州(よしゅう)の州境の陰葉まで迫ります。官度と倉亭で大勝利して勢いづいている曹操軍を相手に少しも引けを取っていません。曹洪や夏侯惇、于禁は、劉備に押しまくられて防戦状態になりました。

 

馬に乗って戦う徐晃

 

自軍の劣勢を見た曹操は、夏侯惇に対して徐晃(じょこう)を派遣して戦力を増強しました。増援を受けて反攻を開始した夏侯惇に対し、劉備は無理をせず博望坡まで退却します。

 

李典

 

博望で対陣した劉備は、やがて陣営を焼き捨てて逃走します。これは敵を誘うための陽動でしたが、夏侯惇は李典(りてん)が劉備の罠であると忠告するのも聞かずに于禁と共に追撃を開始しました。

 

二刀流の劉備

 

そして、李典の忠告通り、夏侯惇と于禁は博望に伏兵を伏せていた劉備の伏兵に撃ち破られます。一転して窮地に陥る夏侯惇と于禁ですが、後方に待機していた李典に救われ、やっとの事で退却に成功します。

 

忙しい方にざっくり解答03 kawausoさん

 

Wikipediaによると、この時、劉備の兵力は4000、夏侯惇と于禁と李典の軍勢は120000とあり、劉備は30倍の敵軍を撃滅した事になりますがホントでしょうか?

 

正史には兵数については書いていないので何とも言えませんが…

 

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三国志主要人物の出身地図

 

夏侯惇、于禁を手玉に取る劉備

太行山に入り山賊になる劉備三兄弟

 

正史の夏侯惇は戦下手で知られていますが、于禁に関しては、樊城(はんじょう)関羽(かんう)に降伏する前までは、かなり勝率の高い武将です。

 

しかし、劉備は曹操が北に帰った後には、奪われた領地を続々と奪還すると同時に、援軍を増強された夏侯惇と于禁に対して、わざと博望坡まで撤退して陣を焼き払い夏侯惇と于禁を引き込んで伏兵で撃退したのです。

 

蜀の劉備

 

あくまでもダミーの遠征でしたが、曹操抜きとはいえ、于禁と夏侯惇を手玉に取る劉備は、三国志演義からは窺い知れない戦上手の一面が垣間見られますね。

 

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荊州の豪傑を集めた劉備

劉備が大好きな魏延

 

劉備の戦上手を裏付ける話として劉表の部将となり、新野に駐屯していた頃、荊州の豪族が劉備の下に続々と集まってきたそうです。これにより劉表は内心で劉備を恐れて疑い、備えるようになったそうですが、この逸話には、極めて重要な事実が隠されています。

 

 

豪傑たちが劉備に帰属したのは劉備の用兵が巧みであり、劉備の支配下に入れば、なかなか死なない事を察知したからと考えられるからです。劉備の魅力は人望だけではなく、戦争の巧みさであり、それゆえに荊州から豪傑が集結し、手柄を挙げるチャンスを求めたのでしょう。

 

劉備軍で出世する魏延と黄忠

 

誰だって、戦争が下手な将軍の下に就きたくはないですからねあるいは、魏延(ぎえん)のような豪傑も新野時代の劉備に従って、そこから出世していったのかも知れません。

 

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三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

今回は劉備の勝利の中でも、一番印象的な博望坡の戦いを解説してみました。

 

海上での戦い 劉備と曹操

 

劉備の勝利は地味なのですが、徐州刺史の車冑(しゃちゅう)を謀殺したり官渡の戦いでは汝南(じょなん)で2度も反曹操の反乱を起こして、袁紹をアシストしたり、有能な一面を見せています。

 

法正と劉備

 

ここから分かるのは、劉備は複雑な戦略を立てる能力には弱いものの、目的が決まっている戦術レベルの戦いでは、かなり優秀な指揮官であるという事です。

 

参考文献:正史三国志

 

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三国志主要戦図一覧

 

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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