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水滸伝は創作ではない歴史小説
そこで考えたいのが、水滸伝は歴史小説、史書の記述から、そこに民間伝承や面白い話を色々ミキシングした歴史小説、ということです。つまり物語の初めから、宋江は色々あっても生き抜いて梁山泊入りするし、最終的にどれだけ戦っても朝廷に帰順するのは、決められたエンディングと言えます。そして最後に、宋は滅ぶことも既に決まった結果なのです。
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史実を変える事は出来ない歴史小説の限界
歴史小説は、細々とした経緯に差異はあれど、終末、そして大きな出来事は大きく変わりません。途中途中に挟む人間関係や、人物の性格変化などは書き手によって解釈の違いが起こっても、筋道から大幅にそれることはないのです。
歴史小説は、歴史を改編するものではありません。だから梁山泊は帰順するし、宋江たちは四姦臣を自らの手で処罰できません。しかしそれは決して歴史小説として間違ったものではなく、ある種仕方のないことではないか、そう筆者は考えてみたりなどするのでした。
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三国志ライター センのひとりごと
ある日、ふと歴史漫画を見ていました。この場面好きだな、ここ嫌だったな、ここがこうなったら楽しいかな。そんなことを考えてしまった筆者でしたが、それは二次創作であり、歴史小説ではないのですよね。そう考えるとどこかしら理不尽にも見えてしまっていた水滸伝の終わりに、何だか納得と、少しばかりの寂しさも覚えました。
もしもこれから水滸伝を見る方がいて、もしももしも何だか違和感を覚えたなら、どうか思い出して下さい。あくまで水滸伝は歴史小説、歴史小説として楽しむべきなのです。
ちゃぽーん。
参考文献:水滸伝
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