三国志演義の人気の秘密。劉備と豊臣秀吉に共通する庶民受けする英雄像とは?

2022年5月4日


 

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三国志を解説するセンさん

 

ふと読み返すと、三国志演義(さんごくしえんぎ)って本当に面白いですよね。また日本でも古くから親しまれ、好まれていることが現代においても良く分かります。どうしてこんなに三国志演義は人気が出たんでしょうか?

 

と、いうことを、今回は当時の中国や日本での「人気志向」から考えてみたいと思います。実は意外な共通点が見えてくるかもしれません。

 

 

 

 

 

三国志演義の主人公劉備

二刀流の劉備

 

まずは劉備(りゅうび)、言わずと知れた三国志演義の主人公。人徳がある人物とされ、武勇に特に優れているということはないものの、優しい心根から他者を惹きつける好漢として描かれていますね。

 

土いじりをする劉備

 

実は皇帝の血に連なる人物ですが、若き頃から貧しい草履売りであり、吉川三国志(よしかわさんごくし)では「母親にお茶を飲ませて上げたい」とお金を必死に貯めているなど、孝行者としても知られている人物です。

 

桃園の誓いをする劉備、張飛、関羽

 

特に義兄弟となる関羽(かんう)張飛(ちょうひ)との桃園(とうえん)の誓いは、物語の始まりとも言えるシーンであり、何度見ても心を打たれる場面でしょう。

 

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強くないけど貧乏で真面目で優しく高貴な血筋の劉備

人形劇三国志を視聴する桃園三兄弟 劉備、関羽、張飛

 

ここで劉備の特徴を振り返ってみましょう。

 

・貧しい出身でありながら真面目に働き、親思い

・特出した能力はないものの、数々の優秀な仲間たちに慕われ、支えられる

・人々を惹きつけるカリスマ性

・出世に出世を重ねて、一国のトップに

・実は高貴な人物だった!びっくり!

 

……こちらの特徴、ある人物と共通しないでしょうか?

 

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身分が低く貧しいが織田家で成り上がる秀吉

豊臣秀吉 戦国時代2

 

さてさて日本のお話をしましょう。その人は貧しい農民に生まれながら、草履取りとしてある大名の下で働き始めます。しかしそこで才覚を表し、数々の功を立て、また今孔明(こうめい)と呼ばれる才能溢れる人々を自分の仲間として招き入れ、仕える大名の天下取りを支える一角となりました。

 

本能寺の変で「是非に及ばず」と切り替えの早い織田信長b

 

ですが運命は皮肉、あと一歩と言う所で謀反にあい、大名は歴史の舞台から消えます。そこで見事に仇を討ち、あれよあれよという間に大名の遺志を継ぎ、彼は天下人になるのでした。そう、天下を取ったおサルさんこと、後の豊臣秀吉(とよとみひでよし)ですね。

 

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ほのぼの日本史

 

 

天性の人たらしで優秀な仲間を集める秀吉

羽柴秀吉(足軽時代)

 

さて秀吉はいくつもの講談となったり、ドラマとしても取り上げられています。その中でも「良くある」秀吉像として以下のものが挙げられます。

 

・貧しい出身

・数々の優秀な仲間たちに慕われ、支えられる

・本人も何気に優秀

・人々を惹きつけるカリスマ性

・出世に出世を重ねて、一国のトップに

・実は高貴な人物だった!びっくり!

 

そう、かなり三国志演義の劉備像とかぶる所があるのです!

 

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ながら日本史

 

貧しいが機転が利き明るいのが大衆受けした

非常に極悪な表情をしている豊臣秀吉

 

もちろん、この秀吉像に「当てはまらない」と思う人も多いでしょう。近年では秀吉のマイナス面、というか、あまり注目されなかった負の面に光を当て、冷徹な指導者、黒い歴史の勝者としての一面も描くことが増えてきました。

 

豊臣秀吉を信頼する織田信長

 

でもかつては、秀吉と言えば信長(のぶなが)の下でちょこちょこ飛び回りながら必死に働く、お調子者だけどどこか憎めない、そんな「主人公」のような秀吉像が多かったと思います。

 

そこにはもちろん、秀吉の姿があまり深く考察されていなかった、良い面だけ抽出した、等などのいくつもの理由があると思いますが、やはり「民衆受け」があったのではないでしょうか。

 

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はじめての戦国時代

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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