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自ら皇后を辞退した慎ましい袁夫人
前述したように、袁夫人もまた慎ましやかな女性でした。しかし孫権との子には恵まれず、孫権はそんな彼女に宮人が生んだ子を養育させるも、夭折。
そして重要なことですが、歩夫人が亡くなった後に、孫権が皇后にしようとしたのがこの袁夫人です。ですが彼女は自分には子供がいないことを理由に、これを固辞したと言います。
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孫権は目立たない慎ましい女性がタイプ
さてさて、孫権が寵愛して、どうしても皇后にしたかった歩夫人。そしてその歩夫人亡き後に、皇后にしようとしたけれど断られた袁夫人。両名共に、性格が慎ましやか、寵を競い合うようなタイプの女性ではありません。
そして孫権が疎んだ徐夫人は嫉妬深い、となると孫権はどうやらおしとやかで慎ましい、穏やかな女性が好みだったのではないでしょうか?
そう考えると、孫権が口うるさい張昭おじいちゃんとかを疎んだのも、逆に性格が穏やかな諸葛瑾を傍に置いたのも、何となく分かるような気がします。
お酒が入ると酒乱になりますし、孫権は普段から意外とストレスをため込むタイプで、そんな自分に静かに寄り添ってくれる女性が好きだったのかな?と思った次第でした。いい趣味してるね!
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三国志ライター センのひとりごと
因みに袁夫人、後に皇后になった潘皇后に嫉妬されて中傷を受けた、とあります。この潘皇后は元々は奴婢だったと言われ、もしかしたら袁夫人のように、立場が弱いというか、助けてあげたいような女性も好きだったのかもしれません。
となると創作とは言え、大体気が強くて自分も強い妹の孫尚香は……ちょっと苦手なタイプの女性だったのかな?
とか考えて楽しくなる、筆者でした!
どぼん!
参考文献:呉書妃嬪伝
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