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黄月英が当時の美の基準から外れていたという黄夫人の逸話

2022年7月9日


 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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忌避された容姿

黄月英

 

ここで思い出して欲しいのが、父親である黄承彦が娘の容姿に付いて触れた言葉。黄色い頭については赤毛だったか金髪だったかは分かりませんが、間違いなく黄月英は色黒、褐色肌であったことでしょう。

 

そうして当時は歌に出てくる美しい女神が白く目映い肌と言われるほど、美白は美女の条件でした。ここから考えると、少なくとも色黒肌であった彼女は、当時の美の基準から外れたものであったのではないでしょうか。

 

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そういえば?

ポイント解説をするセン様

 

と、色黒であることは美女の基準から外れていたとすると、もう一つ気になることが。この女神「背は高からず低からず」であるのですが、つまり背が低すぎても高すぎてもダメ!とすると……?

 

色黒で背が低い女性、誰かを思い出しませんか?

 

(えい)カンの娘は色白で賢くて美人ですが、賈充(かじゅう)の娘は背が低くて色黒で醜いです」そう、賈南風(かなんぷう)が背が低くて色黒で醜い、と言われましたね。この事から当時は肌色が白くないことはやはり美女の条件から外れていた、と考察しました。

 

結構有り得ると思うのですが、どうでしょうかね?

 

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三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

今回は良く考察される黄月英についての容貌に付いて筆者も考えてみました。そしてちょっと調べていたら、何と何と辿り着いたのが賈南風。そう言われて見ればそうではないか、そう考えると結構納得、良く言われていたのかもしれない、と思った次第です。

 

まあ黄月英の容貌はひとまず置いておくとしても、賈南風は容貌が醜いというか性根がみにく……ん?おっと、お客様かな?

 

センさんのとぷんver1

 

それではこれにてどぼーん!

 

参考文献:蜀書諸葛亮伝 襄陽記 洛神の賦

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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