忌避された容姿
ここで思い出して欲しいのが、父親である黄承彦が娘の容姿に付いて触れた言葉。黄色い頭については赤毛だったか金髪だったかは分かりませんが、間違いなく黄月英は色黒、褐色肌であったことでしょう。
そうして当時は歌に出てくる美しい女神が白く目映い肌と言われるほど、美白は美女の条件でした。ここから考えると、少なくとも色黒肌であった彼女は、当時の美の基準から外れたものであったのではないでしょうか。
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そういえば?
と、色黒であることは美女の基準から外れていたとすると、もう一つ気になることが。この女神「背は高からず低からず」であるのですが、つまり背が低すぎても高すぎてもダメ!とすると……?
色黒で背が低い女性、誰かを思い出しませんか?
「衛カンの娘は色白で賢くて美人ですが、賈充の娘は背が低くて色黒で醜いです」そう、賈南風が背が低くて色黒で醜い、と言われましたね。この事から当時は肌色が白くないことはやはり美女の条件から外れていた、と考察しました。
結構有り得ると思うのですが、どうでしょうかね?
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三国志ライター センのひとりごと
今回は良く考察される黄月英についての容貌に付いて筆者も考えてみました。そしてちょっと調べていたら、何と何と辿り着いたのが賈南風。そう言われて見ればそうではないか、そう考えると結構納得、良く言われていたのかもしれない、と思った次第です。
まあ黄月英の容貌はひとまず置いておくとしても、賈南風は容貌が醜いというか性根がみにく……ん?おっと、お客様かな?
それではこれにてどぼーん!
参考文献:蜀書諸葛亮伝 襄陽記 洛神の賦
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