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ゆる~い
そんなべろべろ徐邈に、職務上の質問が投げかけられました。これに徐バクは「聖人に当たった」と答えました。この聖人とは、禁酒令が出された最中の清酒の隠語だったようで。これに曹操は激怒。
しかし鮮于輔が「徐バクは慎み深い性格なので、たまたま酔って言っただけですよ」と弁護。徐バクは何とか刑罰だけは逃れられたようです。と、禁酒令と言っても言い逃れが許されるレベルのもので、もしかしたら刑罰は制定されていても、そこまで厳しく取り締まられることはなかったのかもしれませんね。
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劉備の禁酒令
一方で、劉備が出した禁酒令です。こちらは時代は分かっていませんので、もしかしたら蜀漢以降かもしれませんし、荊州にいた頃かもしれません。
さて、その年に干ばつが発生しました。もちろんそうなると食料不足となりますね。という訳で劉備は禁酒令を出しました。こちらは中々に厳しかったのか、酒を醸造する道具を持っていただけで捕まる者たちもいました。
そんな折、劉備と簡雍が街を歩いていると、二人の男女が前を通りかかりました。
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一本取られちゃったな
「この者たちは淫行に及ぼうとしています!捕まえないのですか!」
簡雍の言葉に劉備はびっくり。どうしてそんなことをしなければならないのか、と尋ねる劉備に簡雍は答えました。
「だって、彼らは淫行のための道具を持っているではないですか」
呆気にとられた劉備ですが、簡雍の言いたいことを悟ったのか大笑い。そして醸造道具を持っていただけの者たちを、解放したと言います。
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三国志ライター センのひとりごと
さてさて、三国志における、曹操と劉備の禁酒令でした。どちらも厳しいのか、厳しすぎたのか、それは本当の所はどうか分かりません。ただ、厳しすぎるのはいけないというのは、簡雍の逸話でも伝わってきますね。
酒は百薬の長、されど薬も過ぎれば毒になる。飲む時には節度もまた楽しみ、他者に厳しすぎる禁酒を命じないようにしないといけないのかもしれませんね。
どぼーん。
参考文献:魏書徐バク伝 蜀書簡雍伝
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