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劉備の旗揚げからずっと一緒、簡雍の存在を考察します!

2021年3月4日


 

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関羽、劉備、張飛の桃園三兄弟

 

三国志演義の始まりは、劉備(りゅうび)の旗揚げ時から……という意識が強くあります。三人の出会い、そして義兄弟の誓い、ここから物語が始まっていくのだという胸の高鳴りを感じますね。

 

簡雍

 

しかしここの三人と言えば劉関張の三兄弟ですが、実はそこにもう一人いた?

今回はそんな三兄弟と、ずっと一緒だった簡雍(かんよう)の存在についてちょっとお話しましょう。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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劉備と同郷

劉備に資金を提供する簡雍

 

簡雍は幽州(ゆうしゅう)出身であり、劉備とは同郷で古くからの知り合いです。そして劉備の旗揚げからずっと一緒、という存在でもあります。

 

劉備を支援する麋竺

 

そんな簡雍についての記録はそこまで多くはありませんが、劉備が荊州(けいしゅう)に入ってからは麋竺(びじく)孫乾(そんけん)らと同じく文官として働き、お使い役として働いていました。特別名家の出、というような記述こそないものの、劉備にとっては古くからの知り合いであり、気心の知れた存在でもあったのでしょう。

 

劉備に付き従う孫乾

 

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劉璋にも好まれた人柄

劉璋(りゅうしょう)

 

後に劉備は入蜀しますが、それに付き従った簡雍は劉璋(りゅうしょう)にもその人柄を好まれました。劉備と劉璋が対立した際には、劉璋への降伏使者として赴いています。

 

劉備に降伏する劉璋

 

この際に優柔不断と言われながらも民思いでもあった劉璋は簡雍の降伏勧告を受け入れ、簡雍と一緒の車に乗って成都を発ちました。この功績から簡雍は出世、孫乾と同じくらいの待遇で蜀には欠かせない位置づけとされたのです。

 

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全訳三国志演義

 

傲慢不遜?

孔明

 

劉備と古い知り合い、劉璋にも愛された人柄、と言われると清廉潔白で穏やかな人柄と思うかもしれませんが、簡雍はこれで中々「いい」性格であったようです。

 

蜀書には「おおらかで穏やか」と称される一方で「傲慢だった」とも記されています。劉備の前でも諸葛亮(しょかつりょう)がいても、長椅子に寝そべって話すような人柄だったとか。

 

しかしそういった人物だからこそ劉備も気の置けない間柄で付き合いが続けられ、劉璋からすればどこか憧れるような人柄だったのかもしれませんね。

 

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ちょっと下ネタを……

長安(俯瞰で見た漢の時代の大都市)

 

そんな簡雍の逸話は、機転が利きながらも少し腰から下のお話です。

 

ある年、干ばつが発生したため、劉備は禁酒令を出しました。この際にお酒を飲むだけでなく、酒を醸造する道具を持っていた、というだけの者まで逮捕されました。これは少し行き過ぎですが、そこで面と向かってたしなめる訳でもなく、別のアプローチをしたのが簡雍。

 

劉備と町を視察する中、簡雍は一組の男女を見て

「淫行を行おうとしているから逮捕しましょう」と言い出しました。

 

何故か、と問いかける劉備に簡雍は

「彼らは淫行を行える道具を持っているではありませんか」と答えました。

 

簡雍の意味する所を察した劉備、笑って酒を醸造する道具を持っていただけの者を釈放したということです。

 

劉備の行動を機転を利かせつつ、ウィットにとんだトークでたしなめた簡雍。中々頭が回りつつも、劉備のみならず逸話を見ているこちらもクスッとさせてくれる人物です。

 

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どうして三国志演義では不遇な扱いを受けているの?

三国志演義_書類

 

こんな簡雍ですが、三国志演義ではちょっと不遇な扱いを受けています。前述したように簡雍は劉備とは古くからの知り合いであり、劉関張の三兄弟にも負けず劣らず、長く付き合いを続けている人物です。

 

しかしこの簡雍は、三国志演義では旗揚げ時には出てきません。いつの間にかいたように途中からの参加になっているのです。これはどうしてでしょうか?

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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