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諸葛孔明は武器を帯びていたの?諸葛亮は刀剣を腰に佩き戦場を駆けまわれる?

2022年9月3日


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悪い顔をしている諸葛亮孔明

 

諸葛孔明のイメージは白い道服を着て白羽扇を持ち移動は四輪車というものです。そんな孔明は武器を帯びていたのでしょうか?

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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諸葛亮は腰に直刀を帯びていた

孔明

 

答えは確実に腰に直刀という武器を帯びていたです。孔明が武器を帯びていたという記述はありませんが、当時の常識として武官のみならず文官も、はては農民でも腰に刀を帯びるのは常識でした。

 

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基本的に文官でも刀剣を腰に佩いていた

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当時の宮廷における特権にも「剣を帯びて沓を履いたまま小走りに走らなくていい」という文言があるので文官でも基本、刀剣を腰に佩いていたその事を裏付けているのです。

 

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刀には帯びると佩くがありますが、日本の武士のように帯に直接刀を差し込む事を帯びるといいます。逆に刀を佩くとは腰のベルトに紐を通して、そこに刀剣を吊り下げる意味です。孔明も腰にベルトを巻いて、そこに刀を佩いていたという事になるでしょうか?

 

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しかし文官が腰に刀を佩く風潮は三国までで次の晋の時代には重いからという理由で刀は金属から木刀になりやがて文官が腰に刀を佩く習慣は消えていきました。

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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