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「三角縁神獣鏡」が卑弥呼の鏡と言われるワケ
この銅鏡が卑弥呼の鏡と言われる大きな根拠は鏡に「景初3年」の年号が刻まれていたことがあげられます。この「景初」は魏の年号であり、卑弥呼が魏に使者を送った年代と一致するからです。また、この鏡が魏の鏡と特徴や成分が似ているとの指摘がありました。
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卑弥呼の鏡でないと言われるワケ
ただし、「卑弥呼の鏡でない」という説もあります。第一に実在しない年号である「景初4年」と刻まれた鏡がある、ということです。しかもこの「三角縁神獣鏡」は中国での出土例がほとんどなく、日本で作られた可能性があります。
また、精密な鏡と粗雑な鏡の出来の差が大きく、大量の贋作が作られた可能性があります。これらの事から、「卑弥呼の銅鏡」についての解釈は大きく分かれており、今後の研究や発掘が待たれるところです。
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三国志ライターみうらの独り言
邪馬台国についての議論は江戸時代から続いており、一向に終わる気配がありません。結論を出すには「物証」が一番大事ですが、「銅鏡」の例を見ればわかるように、それでさえもよくわかっていません。決め手は「金印」ですが、それが見つかる日は来るのでしょうか?
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