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古き時代、争いは世の常でもありました。だからこそ、そんな時代を生きてきたからこそ人々は平和を望み、尊ぶのかもしれません。三国志の時代、争いは、乱は多くの場所で行われてきました。
しかし時に争いではない争い、争いと呼べぬ争い、虐殺と呼ばれるそれも行われていたのも事実。今回のアンケートは「三国志の虐殺と言えば?」コメントと共にご紹介したいと思います。
徐州虐殺
「まあ徐州以外は思いつかない」
「普通に思いだしたら、徐州しか浮かばなかった」
引用元:はじめての三国志TV
やはり徐州についてコメントをする方が多くいましたね。曹操が行った徐州大虐殺。事の起こりは曹操の父親である曹嵩が、徐州牧陶謙の配下によって殺害されたこと。
復讐に燃える曹操は二度に渡り徐州侵攻を行いました。そこで行われた徐州虐殺は「死者は万を数え、その死体で河が堰き止められた」と言われるほど。この徐州虐殺は曹操を、乱世の奸雄として広く知らしめることとなるのでした。
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襄平虐殺
「あの公孫氏が曹魏(曹叡)に刃向かい、司馬懿軍団最後の曹魏への御奉仕と成った城攻めは壮絶でしたなぁ…電光石火の移動に24時間の攻撃の嵐、徹底した包囲、そして無慈悲な回答、そして…城内での根切(殲滅戦)、絵に書かれた切断された首の山を見上げる司馬懿の姿は自軍兵士や曹氏にとっても恐ろしい光景だったと思います。抵抗したらこう成ると…」
「晋書の襄平の官と15歳以上の男子を全員殺したやつか」
引用元:はじめての三国志TV
これは魏による公孫淵の反乱への討伐の際のことですね。公孫淵の反乱鎮圧に、魏皇帝・曹叡が派遣したのは司馬懿でした。司馬懿の戦略の前に公孫淵は太刀打ちできず、司馬懿に襄平を包囲されます。
その内、兵糧も底をついて和睦を申し入れるもこれは認められず。公孫淵と共に一族は処刑されました。コメントにもありますが司馬懿は二度とこの地に魏への反抗者が生まれぬように、15歳以上の男子を皆殺しにしたと言います。
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宦官虐殺
さて宦官虐殺について特にコメントはありませんでしたが、ちょっと説明だけさせて頂きますね。何進はそもそも妹が同郷の宦官に推薦されたことで貴人となり、その縁で霊帝に重用されることになりました。
しかし宮廷を牛耳る宦官と何進は衝突を起こすようになり、遂に何進は宦官らを排除しようと動き出します。ですがここで妹から待ったがかかり、この計画は一時頓挫。
宦官に目を付けられている何進を心配して袁紹は「宮中に軽々しく入るべきではない」と忠告したにも関わらず、警戒せず参内した何進は宦官らに殺害されることに。
何進は部下に慕われていたこともあって部下たちの怒りは爆発。袁紹は何進の敵討ちのために宮中に兵を進め、宦官たちは皆殺しになりました。死者は2,000人余り、中には宦官と間違って殺されてしまった人たちもいたと言います。
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官渡虐殺
こちらは先ほども出てきました袁紹のお話……曹操と袁紹は官渡で戦うことになります。序盤こそ優勢だった袁紹軍ですが、内輪揉めと曹操軍の決死の抵抗によって強大であったはずの袁紹軍はまさかの崩壊。
勝利した曹操は袁紹軍の兵士八万人ほどを生き埋めにした……と言うのですが。「戦いの後にそんな体力あるのか?」「曹操軍の兵士に対して労力がおかしくないか?」と色々と物議が交わされていますね。個人的には曹操軍の兵力はもうちょっとあったのではないかと思いますが、それはまた別の機会に致しましょう。
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その他
ではその他ではこちらのコメント、徐州虐殺へのコメントですがこちらでご紹介させて頂きます。
「当時、徐州に住んでいた幼い諸葛亮少年にとっては、自分達を虐殺しにきた曹操は悪魔のように見えただろうし、そこに僅かな兵を率いて自分たちを助けに来てくれた劉備を救世主の様に感じたんじゃないだろうか?とか考えたりします」
「曹操に立ち向かう英雄を待っていたのかもしれませんね」
引用元:はじめての三国志TV
当時の徐州には諸葛兄弟や魯粛などもいたと言われており、彼らが曹操に仕えなかった理由の一つが徐州虐殺の一件にあったのでは……とも言われています。
もちろん実際にどうであったかは分かりません。しかし曹操の一件が後の英雄を生んだ、そう考えるのは非常に浪漫がありますね。なので今回は敢えてこちらで紹介させて頂きました。
三国志ライター センのつぶやき
今回は三国志の中でも苦々しい件をご紹介させて頂きました。やはり知名度としては徐州虐殺が一番だと改めて感じましたね。
三国志演義の演出と違い、三国志での徐州牧陶謙はそこまで良い人じゃなかった……とは言え、そもそもとしてそんなことは虐殺された側から見れば関係ない、そんなコメントもありました。
間違いなく徐州虐殺は曹操の人生に陰を落とした一件であり、凄惨な事件でもあります。ただ個人的には曹操の悪手、復讐に囚われた曹操の人間的な面の一部ではないか、とも思う筆者でした。
どぼん。
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