諸葛菜の利点
さあどこでも育つし全部食べれてしまう諸葛菜、これは軍においてとてもありがたいものでした。何せ戦には大量の食糧が必要です。そしてそれはただ食べられれば良い、という訳にはいきません。現代でもそうですが、長期に置いて「栄養が偏る」ということは体調不良を招きます。
体調不良予防のためには欠けやすい栄養素を補う必要がありますね。そして戦場で欠けやすい栄養素、それは新鮮な野菜でした。新鮮な野菜と言うのは、当時は特に運搬がし辛かったことでしょう。更に言うなら、そもそも戦がある時は国の食料も不足しやすいものです。これを一挙解決したのが、諸葛亮が広めた諸葛菜である、というのです。
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諸葛菜は実在していた?
前述しました通り、諸葛菜は春夏秋冬いつでも育ちます。更に、土地を選びません。なので諸葛亮は軍を移動させる際、兵舎の構築とともに、附近の空閑地に蕪の種……この諸葛菜の種を撒き、これを軍の食事の支えとした、だけでなく、それはその地方でも食されるようになり、そこから「諸葛菜」と呼ばれるようになった……というのです。そしてこの諸葛菜、実はオオアラセイトウというアブラナ科の植物の、別名とされています。
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中々に謎めいている諸葛菜の伝説
ですがこのオオアラセイトウ、実際には主に種から油を取るもので、更に言うと蕪というよりは野花に近い生体です。食べるのは葉や花の部分であるようですね。では諸葛菜の伝説はあくまで伝説か?
というとそうでもなく、この植物は「道端や空き地でも良く育つ」「日当たりが悪くても育ちやすい」「食べることも可能」「二月ごろから成長して、五月から六月には種を落とすようになり自然に広がる」「繁殖力が強くて土地に定着しやすい」という特性を持っており、これは諸葛菜の特性に概ね該当するものです。
どの辺りから「蕪のようなもの」であると言われたのかは定かではありませんが、諸葛菜のメリットに諸葛亮が気付き、それを軍の食事に用いようと考えたとする……これは嘗て、諸葛亮が兵站を担当していたからこその着眼点だと思います。個人的には「諸葛亮ならば有り得る」と思ってしまう、これもやはり諸葛亮の才覚、ではないでしょうか。
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三国志ライター センのひとりごと
諸葛菜の記述を見た時は「うーん、あり得ないのでは……?」なんて思ってしまいましたが、実際に諸葛菜と言われている植物の特性を見ると、ない話ではない、と思わされました。
伝承は全てが全て本物ではないとしても、その伝承がどこから生まれたか、とする部分は存在すると思います。
だとすると元々兵站を担当していたらこそ、どうにかできないかと考えていて、自らが軍を率いた際にそれを取り入れた……というのは考えられるのではないでしょうか。しかしこういった細かい観点から取り入れていく、個人的にはこういう点が、諸葛亮の才覚だと思います。
どぼーん。
参考:吉川英治「三国志」篇外余録
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