1月のはじめての三国志は、kawausoが「三国志とお金」と題してお金をテーマに色々語ります。第一回は、三国志の時代と通貨、有名な五銖銭は董卓の改鋳により粗悪になり後漢末期の経済が大混乱した事は以前の記事でも書きましたが、では、それにより当時の庶民は、どうやって生活物資を買うようになったのでしょう?
そして、董卓の改鋳を免れた良質の五銖銭はその後どうなったのでしょう。
衝撃董卓の改鋳以前から悪貨は増大していた
後漢の末期、董卓の改鋳以前の庶民はどんな貨幣を使っていたのでしょうか?
それを端的に表す遺物が1981年に北京で発見されました。後漢末の陶罐 に入れられた重さ100キログラムの窖蔵銭が出土したのです。
※窖蔵というのは、戦乱などを免れる為に、銭貨を甕に入れて穴倉などに入れておく事を言います。
さて、この100キログラムの窖蔵銭を分析しますと、後漢後期の純正の五銖銭は20%、剪輪五銖銭が50%、綖環五銖銭が30%でした。ちなみに、剪輪五銖銭は、五銖銭の外側を削ったもので、綖環五銖銭は五銖銭の内側を削ったものを意味します。
※綖環五銖銭はそのまま流通する事は少なく、新しく五銖銭を鋳造する原材料として使用されました。
こちらの窖蔵銭は100キログラムに過ぎず、当時の富豪が埋めたにしては、少なすぎる事から、貧民とまではいかなくても、都市生活を送っていた普通の庶民が埋めたものだと考えられています。つまり、当時の中国の市場では純正の五銖銭は全体の20%しかなく大半は五銖銭を削って水増しした悪貨だったのです。董卓が五銖銭を改鋳する以前からすでに悪貨が増えていた事がここから明らかになりました。
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粗雑な董卓小銭が流通し、貨幣経済が崩壊に
こうして、良銭が少なくなっている所に追い打ちをかけたのが董卓でした。後漢書董卓伝によると、
「悉く銅人鐘虡を椎破し及び五銖銭を壊す。
更めて鋳て小銭と為し大きさ五分文章無く肉好輪郭無く磨鑢 せず是において貨軽にして物貴く穀一斛 数十万に至 る 。
是より後銭貨 行されず」
翻訳してみると、銅人(銅で造られた巨人像)や鐘虡(同じく銅で造られた獣の像)と純正の五銖銭を鋳つぶしてこれを小銭にした。大きさは五分、文字は刻まれず、薄っぺらで輪郭も彫らず、研磨もしなかった。このせいで貨幣の価値は暴落し、物価は暴騰し穀物一石で数十万銭に至る。
以後、貨幣は鋳造される事がなかった。
こんな風な意味になります。
董卓は、ちゃんとした五銖銭を鋳つぶしてゴミみたいな貨幣を造ったんですね、そりゃあ、経済は大混乱するでしょう。この為に、董卓五銖銭は単体では無価値になり、庶民は五銖銭を100枚紐で括り、それで買い物をするようになります。同時に貨幣ばかりでなく、絹や帛、あるいは穀物のような現物が以前以上に多用されるようになりました。
実際、曹丕が曹洪に借金を申し込む逸話では、曹丕が絹を借りようとしています。三国時代の許で出土した窖蔵銭では、すでに後漢時代の純正の五銖銭は2・55%で三国時代のモノを含めても良貨は僅か4%しかなく、残り96%は、董卓小銭も混じる悪貨でした。
魏では通貨の絶対量が減少していましたが、銅不足でいかんともしがたく、荀悦は「これを尚ぶもこれを廃するもやむを得ず、なんぞ憂えんや」と言い鋳造作業を投げだしてしまいました。
純正五銖銭は退蔵されて消えていった
悪貨は良貨を駆逐するという言葉がありますが、三国志の時代にも同じ事が起きました。つまり、悪貨については、物価が暴騰する一方で純正の五銖銭は価値が高まったのです。これにより純正五銖銭は、貨幣であると同時に財物の性質を帯びるようになり、純正五銖銭を持つ富豪は、これを使わないで退蔵し価値がさらに上がるのを待つようになり、ますます市場からは純正五銖銭が消えていき、悪貨が増えるという悪循環が発生していくのです。
三国志ライターkawausoの独り言
記録によると、西暦263年と280年、帝都洛陽では銭ブームが起きています。その理由はとりもなおさず、蜀と呉の滅亡でそれらの帝国が所蔵する銅銭と貨幣鋳造設備が曹魏、続いて西晋にもたらされた為でした。それぞれの時期にもたらされた貨幣は恩賞として王侯貴族にバラまかれ、これにより貨幣の贈答合戦が起きて銭ブームに繋がったのです。もっとも、呉と蜀でも銭不足は変わらず、多少良貨が増えた所でそれが、社会に還元されて貨幣経済が復活する程ではありませんでした。
精々、洛陽周辺の王侯貴族によるブームで終わり、そしてそんな銭からも富豪により良貨は選り抜きされて退蔵され、庶民は粗悪な銭を使うしかない状態は変わらなかったようです。
参考:後漢 ・ 三 国時代貨幣史研究古代 か ら中世へ の 展開/1999年3月31日発行/59-84ページ/著者 山田勝芳/
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