[成公英]韓遂への忠義!最後まで従った勇敢な人物

2023年6月2日


 

韓遂

 

韓遂(かんすい)霊帝(れいてい)の時代から西方で反乱を起こし、数十年間独立して勢力を保っていました。しかし韓遂は馬超(ばちょう)と一緒に曹操(そうそう)へ反旗を翻したことがきっかけで滅亡することになります。

 

病死する韓遂

 

韓遂は滅亡するときに多くの腹心達から裏切られてしまいますが、成公英(せいこうえい
)
だけが韓遂を裏切ることなく、彼が死ぬまで付き従っていました。成公英は韓遂が亡くなるまで従っていた武将ですが、どのような人だったのでしょうか。

 

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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韓遂が反乱を起こした際仲間になる成公英

成公英

 

成公英は霊帝の時代のちょっと前に中国の西域・金城で生まれます。後漢王朝(ごかんおうちょう)は霊帝時代に大きく乱れ、役人たちは官職を銭で買うために民衆から銭を巻き上げていました。

 

霊帝から益州統治を頼まれる劉焉

 

また皇帝の側近である宦官(かんがん)たちが幅を利かせ、好き放題政治を動かし、朝廷のやり方に不満を持っている人が大勢いました。西方の豪族・韓遂はそんな乱れた朝廷に嫌気がさして、黄巾の乱が鎮圧された後、西方で仲間を集めて後漢王朝に反旗を翻します。

 

出世した韓遂

 

成公英は中国西方の有名人・韓遂が反乱を起こしたことを知ると彼の元へ赴き、配下に加えてくれるように説得。韓遂は成公英の説得を聞き入れ、彼を配下に加え後漢王朝に反旗を翻します。その後成公英は韓遂と一緒に中央政府に従うことなく、韓遂の腹心として活躍していきます。

 

 

 

馬超と一緒に曹操と対決する成公英

曹操を絶対殺すマンとしてなった馬超

 

韓遂は盟友馬騰(ばとう)の息子・馬超と一緒に中央政府を仕切っていた曹操と対決することになります。韓遂は自分を慕っている豪族を集め、馬超軍と合流。

 

馬上で曹操と会談する韓遂と閻行

 

韓遂は馬超と共に連合軍を形成し、曹操軍と戦いますが、決着をつけることができませんでした。そのため韓遂と馬超は曹操軍と長い間対陣することになりますが、この対陣中に二人の仲が悪くなってしまいます。

 

賈詡

 

その原因は賈詡(かく)の計略「離間の計(りかんのけい
)
」によって、韓遂と馬超の二人が互いを疑うように仕向けた為です。

 

馬超と韓遂

 

そのため二人はお互いを疑い疑心暗鬼になってしまった為、協力することができず、曹操軍の攻撃を受けて連合軍はバラバラになってしまい曹操軍に敗北。

 

夏侯淵にフルボッコされる韓遂

 

韓遂は成公英を連れて曹操軍の追撃から逃亡することになります。

 

 

親戚に裏切られる

閻行の説得に耳を貸さない韓遂

 

韓遂は曹操軍に敗北すると夏侯淵率いる軍勢の猛追撃を受けることになりますが、何とか追撃を振り切って湟中へ逃亡。韓遂は腹心・成公英と親戚・閻行(えんこう
)
らと今後どうするかを語り合います。成公英と閻行らはいい案が浮かばず解散。

 

曹操に説得される閻行

 

その後閻行は会議が終わった後、夜中に軍勢を集めて韓遂へ奇襲攻撃を行います。成公英は韓遂が閻行から攻撃をされた事を知り、軍勢をまとめて閻行の奇襲攻撃かろうじて撃退することに成功。しかし韓遂は親戚関係にあった閻行が、裏切った事にショックを受けてしまいます。

 

成公英の策

韓遂の仲間になる成公英

 

成公英は閻行の反乱後、韓遂に呼ばれると「我らが苦難に会っている時、まさか親戚から裏切る者が出るとは思いもよらなかったよ」と肩を落としながら語ります。さらに韓遂は「このままここに居れば夏侯淵(かこうえん)の攻撃を受けかねない。ここは蜀へ逃げるしかないな」と成公英に相談。

 

魏の夏侯淵

 

すると成公英は「夏侯淵の軍勢は兵糧も少なく、我らを発見して攻撃を仕掛けることもできませんでした。ここは我らの知り合いが多い羌族の元へ逃げて、力を蓄えるのがいいと思います。」とアドバイス。

 

羌族

 

韓遂は成公英のアドバイスを採用し、羌族の元へ逃げこみ、力を蓄えることにします。しかし韓遂は羌族の元で以前の力を取り戻す前に亡くなってしまうのです。

 

 

再び裏切られ殺害される韓遂

歴代皇帝の墓を暴こうとする韓遂の兵士

 

韓遂は羌族の元へ逃げこむことに成功しますが、再び裏切られてしまい、殺害されてしまいます。成公英はたまたま韓遂の近くにいなかったため、後に韓遂が部下に裏切られて殺害された事を知り、いっぱい泣いて悲しんだそうです。成公英は韓遂が殺害されてしまった為、曹操の元へ出頭し降伏。

 

韓遂が裏切られて亡くなり悲しむ成公英

 

曹操は成公英が韓遂に忠誠を尽くしていた事を知っていたので、彼を軍師に取り立てて侯の位を授与し、厚遇したそうです。三国志には君主に忠義を尽くして仕えた人物がたくさんいますが、成公英も忠義をもって君主を支え続けた忠臣の一人に数えることができる人でしょう。

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

成公英は曹操に降伏した後、どのような働きをしたのかちょこっと紹介して、終わりにしたいと思います。

 

曹操と会見をする陳登

 

成公英は曹操に降伏した後、涼州刺史・張既の部下となって、西方で反乱を起こした異民族を討伐する作戦に参加し、活躍していたそうです。成公英は韓遂に長いこと仕えていた事もあり、西方の異民族の事に詳しかったため、上記の任務を与えられますが、適材適所な人材活用術だったと言えるのではないでしょうか。

 

■参考文献 正史三国志魏書など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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