三国志の時代には曹操や劉備、諸葛孔明など数えればきりがないほど魅力的で歴史に名を刻んだ人物がいっぱい登場します。
赤壁の戦いで曹操軍を撃破した孫呉の名将・周瑜も歴史に名前を刻んだ一人ですが、上記で紹介した魅力ある人物や周瑜の死因はいったいなんのでしょうか。今回は三国志に登場する人物の死因と周瑜の死因を調べてみましたので紹介したいと思います。
曹操の死因とはいったい何なの?
三国志の魏の礎を築き、中華の半分以上を保有した英雄・曹操。彼の人生のほとんどは戦いで占められておりますが、そのほとんどの戦いを勝利で飾っています。また曹操は政治面においても屯田性を改良した政策や才能が有れば、盗人でも殺人犯でも登用する唯才令など多くの優れた政策をいくつも出しています。
さらに曹操は文化面でもお酒を製造する際の酒造法・九醞春酒法を作ったり、多彩な才能を発揮した人物でした。
このように歴史的にも大きな貢献をした曹操の死因はいったい何なのでしょうか。現代医学によれば、曹操の死因は悪性の脳腫瘍で、現代医学でもなかなか治すのが難しい難病にかかって亡くなったそうです。
諸葛孔明の死因はいったい何なの?
蜀の丞相として活躍した諸葛孔明。三国志を知らない人でも諸葛孔明の名前は聞いたことがあると思います。彼の死因についてですが、正史三国志によると断定的なことは記載されずただ病にかかって亡くなったとされていますが、彼の死因はいったい何なのでしょうか。
正史三国志蜀書を調べてみると諸葛孔明が過労によって亡くなったとされる可能性をほのめかすような記載がありました。それは魏の司馬懿は諸葛孔明から送られてきた使者に対して「諸葛孔明殿はどのくらい仕事をしているのかな」と尋ねたそうです。
すると使者は「丞相は朝早く起きて夜遅くに寝ます。鞭打ち20以上の事柄についてはすべて丞相が決裁を下しています。」と返答。さらに司馬懿は「諸葛孔明どのはどのくらいご飯を食べているのかな」と尋ねたそうです。
すると使者は「丞相は2合ほどしかご飯を食べません」と答えます。
司馬懿は蜀の使者が帰った後「孔明はもうすぐ死ぬだろう」と予想し、司馬懿の予想は見事に的中することになります。このことから諸葛孔明の死因は過労が原因となる病気で亡くなったと予想できるのではないでしょうか。
周瑜の死因はいったい何なの?
赤壁の戦いで曹操軍の大軍を打ち破った名将・周瑜。彼の死因はいったい何なのでしょうか。
正史三国志呉書によれば、周瑜の死因はただ病気とだけ書いてあり、詳しいことはわかりませんでした。しかし周瑜の死もある程度のことが予想することができると思います。レンは周瑜の死因について、ストレスによるものではないかなと考えています。
周瑜は孫呉を率いる立場の人間として軍事面や政治面、外交面、戦略面などいろいろな負担がありました。
これらの負担に周瑜の精神面が耐えることができても、身体が負担に耐えることができずに病を発症して亡くなってしまったのではないのでしょうか。あくまで上記はレンの予想であるため、断定的なことが言えませんが、皆様はどのように思いますか。
三国志ライター黒田レンの独り言
今回いろいろと三国時代の名将や英雄たちの死因について調べるとあることがわかりました。それは三国時代の名将や英雄と呼ばれた人物の死因の多くは、討ち死によりも病で亡くなることが高くありました。
もし医療が現代並みとは言わずにある程度発達していれば、名将たちが病でなるくなる確率をぐっと抑えることができたのではないのかなと思います。皆様は医療が発達している現代に生まれているので、体に変調をきたしたらすぐにお医者さんに掛かってみてもらったほうがいいですよ。
■参考 正史三国志魏・蜀・呉書など
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