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[歴史の謎]周瑜の死因と三国志英雄の最期:真実を追究

2023年8月12日


 

亡くなる周瑜

 

三国志の時代には曹操(そうそう)劉備(りゅうび)諸葛孔明(しょかつこうめい)など数えればきりがないほど魅力的で歴史に名を刻んだ人物がいっぱい登場します。

 

赤壁の戦い(せきへきのたたかい)で曹操軍を撃破した孫呉の名将・周瑜(しゅうゆ)も歴史に名前を刻んだ一人ですが、上記で紹介した魅力ある人物や周瑜の死因はいったいなんのでしょうか。今回は三国志に登場する人物の死因と周瑜の死因を調べてみましたので紹介したいと思います。

 

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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曹操の死因とはいったい何なの?

曹操

 

 

三国志の魏の礎を築き、中華の半分以上を保有した英雄・曹操。彼の人生のほとんどは戦いで占められておりますが、そのほとんどの戦いを勝利で飾っています。また曹操は政治面においても屯田性を改良した政策や才能が有れば、盗人でも殺人犯でも登用する唯才令など多くの優れた政策をいくつも出しています。

 

さらに曹操は文化面でもお酒を製造する際の酒造法・九醞春酒法(きゅううんしゅんしゅほう)を作ったり、多彩な才能を発揮した人物でした。

 

 

頭痛に悩む曹操

 

 

このように歴史的にも大きな貢献をした曹操の死因はいったい何なのでしょうか。現代医学によれば、曹操の死因は悪性の脳腫瘍で、現代医学でもなかなか治すのが難しい難病にかかって亡くなったそうです。

 

 

 

諸葛孔明の死因はいったい何なの?

夜の五丈原で悲しそうにしている孔明

 

 

(しょく)丞相(じょうしょう)として活躍した諸葛孔明(しょかつこうめい)。三国志を知らない人でも諸葛孔明の名前は聞いたことがあると思います。彼の死因についてですが、正史三国志によると断定的なことは記載されずただ病にかかって亡くなったとされていますが、彼の死因はいったい何なのでしょうか。

 

正史三国志蜀書を調べてみると諸葛孔明が過労によって亡くなったとされる可能性をほのめかすような記載がありました。それは()司馬懿(しばい)は諸葛孔明から送られてきた使者に対して「諸葛孔明殿はどのくらい仕事をしているのかな」と尋ねたそうです。

 

すると使者は「丞相は朝早く起きて夜遅くに寝ます。鞭打ち20以上の事柄についてはすべて丞相が決裁を下しています。」と返答。さらに司馬懿は「諸葛孔明どのはどのくらいご飯を食べているのかな」と尋ねたそうです。

 

すると使者は「丞相は2合ほどしかご飯を食べません」と答えます。

 

 

過労死する諸葛孔明

 

 

司馬懿は蜀の使者が帰った後「孔明はもうすぐ死ぬだろう」と予想し、司馬懿の予想は見事に的中することになります。このことから諸葛孔明の死因は過労が原因となる病気で亡くなったと予想できるのではないでしょうか。

 

 

周瑜の死因はいったい何なの?

周瑜の魅力

 

 

赤壁の戦いで曹操軍の大軍を打ち破った名将・周瑜(しゅうゆ)。彼の死因はいったい何なのでしょうか。

 

正史三国志呉書によれば、周瑜の死因はただ病気とだけ書いてあり、詳しいことはわかりませんでした。しかし周瑜の死もある程度のことが予想することができると思います。レンは周瑜の死因について、ストレスによるものではないかなと考えています。

 

 

水面に弱気な自分が映る周瑜

 

 

周瑜は孫呉を率いる立場の人間として軍事面や政治面、外交面、戦略面などいろいろな負担がありました。

 

これらの負担に周瑜の精神面が耐えることができても、身体が負担に耐えることができずに病を発症して亡くなってしまったのではないのでしょうか。あくまで上記はレンの予想であるため、断定的なことが言えませんが、皆様はどのように思いますか。

 

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

 

今回いろいろと三国時代の名将や英雄たちの死因について調べるとあることがわかりました。それは三国時代の名将や英雄と呼ばれた人物の死因の多くは、討ち死によりも病で亡くなることが高くありました。

 

もし医療が現代並みとは言わずにある程度発達していれば、名将たちが病でなるくなる確率をぐっと抑えることができたのではないのかなと思います。皆様は医療が発達している現代に生まれているので、体に変調をきたしたらすぐにお医者さんに掛かってみてもらったほうがいいですよ。

 

■参考 正史三国志魏・蜀・呉書など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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