『三国志』はその内容をまるで知らない人には魏・蜀・呉の三つ巴合戦が延々と続く物語だと思われがちですが、
実際には決してそうではありませんよね。
序盤ではそれぞれ天下を狙う他の勢力と戦っていたりたまには同盟を組んでみたり、そうかと思えば異民族討伐に精を出したり…。
こうして見るとけっこう色々な要素が詰め込まれています。
ところで、異民族といえばなんとなく「敵」のイメージがありますが、味方として戦ってくれることもしばしば。
敵としてはやっかいな存在ですが、味方にすると頼りになるのが異民族です。
今回は、蜀の味方として大いに活躍した異民族の王・沙摩柯についてご紹介したいと思います。
劉備、関羽の弔い合戦を強行
ことのはじまりは劉備の義兄弟・関羽が呉の呂蒙に討ち取られてしまったことでした。
荊州を返す返さないでのらりくらり身をかわしていたらとんでもないしっぺ返しを食らった蜀。
関羽を失ったと知った劉備は我を忘れて大憤怒、呉の討伐を強行してしまいます。
夷陵の戦いの幕開けです。
胡王?蛮王?沙摩柯参戦
「絶対に関羽の仇を取るぞ!」と息巻く劉備の前に何とも奇妙な助っ人が現れました。
顔はまるで鮮血を注いだように真っ赤。
しかし、その顔の色と対照的な碧眼をギラつかせた散切り頭の大男。
左右の腰には弓を備え、鉄疾黎骨朶という鬼の金棒を思わせるような武器を手に持ち素足で現れた彼の名は沙摩柯でした。
いかにも蛮族という風体の彼はやはり蛮族の王だったようです。
ただ、どこの異民族の出身かは明らかになっておらず、正史『三国志』では胡王、『三国志演義』では蛮王と称されています。
このように正体不明の沙摩柯ですが、劉備にとっては見るからに心強い助っ人だったことでしょう。
『三国志演義』では甘寧を射殺
正史『三国志』では沙摩柯の活躍ぶりはあまり描かれていませんが、『三国志演義』では華々しい活躍を見せてくれています。
「甘寧一番乗り~!」で有名な元ヤクザの親分・甘寧を腰に引っさげていた弓で見事射殺。
呉軍を激しく動揺させます。
甘寧は病気をおして出陣していたとはいえ歳をとっても暴れ馬のようだった甘寧を討ち取った沙摩柯は
なかなかの剛の者という設定だと考えられるでしょう。
『三国志演義』はやっぱり創作ですからね。
実は、沙摩柯の夷陵の戦いでの様子は正史では陸遜の火攻めに遭って斬首されたという残念なことしか書いてありません。
蜀軍ははじめこそ有利に戦を進めていましたが、遠征疲れが出始めたところを陸遜によって見破られ、火攻めによって退路を断たれて
壊滅させられてしまいます。
その際、沙摩柯も逃げ遅れて呉軍につかまり処刑されてしまったとのことです。
ただ、やはり『三国志演義』では沙摩柯はもう少し格好良く描かれています。
一騎で逃げていたところ追撃してきた周泰に追いつかれて一騎打ちの様相に。
20合あまり打ち合った末、沙摩柯は討ち取られてしまったということになっています。
正史と『三国志演義』でなぜこうも違うのか?
陳寿が著した正史『三国志』と『三国志演義』とでそのキャラクターが全く異なる人物というのはけっこういますが、
沙摩柯のキャラ変は結構著しいものですよね。
しかし、なぜこんなに違うのでしょうか?
それはおそらく『三国志演義』は劉備が主人公だからでしょう。
正義の主人公・劉備の味方は正義の人でなければいけませんし、正義の人は強くなくてはいけません。
だから、『三国志演義』の沙摩柯は正史よりも強く格好良い人物として描かれることになったのでしょう。
主人公・劉備を持ち上げるために、自然と沙摩柯も持ち上げられたというわけです。
三国志ライターchopsticksの独り言
謎多き異民族の王・沙摩柯は正史『三国志』では陸遜伝にちょっぴり顔を出すくらいの存在です。
それなのに『三国志演義』で大抜擢されているのは異民族の王というキャラクターがおいしかったのかもしれません。
異民族の王まで味方に付ける正義の劉備という構図は劉備万歳の『三国志演義』には好都合ですからね。
もし沙摩柯が劉備の味方ではなく呉の味方についていたならば沙摩柯は『三国志演義』に登場することすら叶わなかったかもしれません。
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