蒼天航路では「隻眼の鬼将軍」と言われた夏侯惇ですが、正史三国志と三国志演義ですと性格が全然違うのを皆さんご存知でしょうか。今回は夏侯惇の性格について紹介したいと思います。
正史三国志の夏侯惇の性格とは??
正史三国志の夏侯惇はどのような性格だったのでしょうか。正史三国志には夏侯惇の性格について、清潔でつつましい性格であったと描かれています。
また夏侯惇は大軍の総司令官にも抜擢されている事から、諸将との仲も悪くなかったように思われ、癖のない性格だった事が伺えます。更に夏侯惇は民衆にも優しい性格でした。
夏侯惇は民衆が干ばつやイナゴで収穫が取れなかった時、民衆のために堤防を作ったり、民衆たちや兵卒たちに交じって民衆の農事を手伝ったりしていました。他にも夏侯惇は努力を怠らない性格で、戦で出陣していても学問を行うため、先生を戦場に呼び寄せて講義を受けて勉学に励んでいたそうです。このように夏侯惇は正史三国志では意外と優しくて努力家、癖のない人物だったと思われます。しかし三国志演義の夏侯惇は正史三国志と全然違う性格の持ち主だったのです。
三国志演義の夏侯惇の性格は??
三国志演義の夏侯惇はどのような性格だったのでしょうか。それは激情家で激しい性格の持ち主だったようです。彼がどれくらい激しい性格だったのか紹介したいと思います。
夏侯惇は董卓討伐戦の際、曹操に従って出陣し、董卓軍の将軍・徐栄を討ち取っています。また袁術軍の将軍・橋蕤を討ち取る活躍をしています。このように三国志演義の夏侯惇は、激しい気性の持ち主で、一騎打ちでも軽々と敵将を討ち取ってしまう人でした。
更に夏侯惇は曹操と一緒に徐州の呂布を討伐戦の時にも、気性の激しい性格の持ち主だったことを示すエピソードが残っています。夏侯惇は曹操と一緒に出陣し呂布討伐戦へ向かいます。
夏侯惇はこの時呂布軍の将軍・曹性と戦闘を行いますが、曹性から放たれた矢によって左目を失ってしまいます。
夏侯惇は左目に弓矢が直撃するとその矢を引き抜いて「親からいただいた物を捨てるわけにはいかん!!」と言った後、左目を飲み込んでしまったそうです。夏侯惇はその後も曹性と戦い、曹性の軍勢を撃破したそうです。
ちょっとグロテスクなシーンを紹介しましたので、ご飯を食べながら読まないようにしてくださいね。
他にも夏侯惇は曹操の元に帰順していた関羽が劉備の元へ帰ろうとする際、一騎打ちを挑んだりと正史三国志では見られない激しい気性を三国志演義では見せつけています。このように夏侯惇は正史三国志と三国志演義では全然違う性格の持ち主だったのです。
三国志ライター黒田レンの独り言
ここでは夏侯惇の性格の違いを紹介して終わりたいと思います。
どうして夏侯惇の性格は正史と演義では違うのでしょうか。それは魏の将軍は悪者として扱うためだと思われます。
三国志演義は民衆向けの娯楽を追求した読み物で、蜀の劉備がヒーローとして描かれ、魏の曹操はヒーロー劉備と敵対する悪役として描かれています。そして劉備配下の武将達も劉備と同じくヒーローとしていい部分のみが描かれています。
では曹操配下の武将達はどのように描かれているのでしょうか。それは悪役曹操に仕えている事から、悪者扱いされ、劉備軍の配下のかませ犬的な役割になってしまいます。
このことから正史三国志の夏侯惇のように隻眼将軍でありながら、優しくて、努力家、癖のない性格だと悪役として適役ではありません。そのため三国志演義の夏侯惇は悪役・曹操に仕えて居た為、正史三国志とは真逆の性格の持ち主として描くことで、悪い部分を強調したのではないかなと思われますが、皆様はどのように思いますか。
■参考 正史三国志魏書など
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