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[古代中国の玉器]印鑑の使用用途と宋代の玉璽の真実

2023年12月10日


 

玉璽

 

 

中国には玉器(ぎょくき)というものがあります。聞きなれない単語なので、解説する必要があります。現在の浙江省杭州市良渚という土地一帯で前3500年~前2200年まで栄えた〝良渚文化(りょうしょぶんか)〟というものがあります。そこからは、〝玉器〟というものが発見されます。ドーナツ型・立方体・人型・・・・・・とにかく形状は様々です。研究の結果、古代中国において祭祀道具として使用されていたようです。今回は玉器にまつわるエピソードを解説します。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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ドーナツ型の玉器

項羽と劉邦

 

一般に知られている玉器はドーナツ型です。横山光輝(よこやま みつてる)のマンガに『項羽と劉邦』という作品があります。上記のマンガは司馬遷(しばせん)の『史記』をモチーフにしたものです。その中に〝鴻門の会(こうもんのかい)〟という場面があります。項羽(こうう)の軍師の范増(はんぞう)が、劉邦が将来において危険な存在になるから今のうちに消すことを提案します。そこで項羽は劉邦を宴席に呼び出します。しばらくすると、范増は宴席で劉邦を殺害するように項羽に合図を送りました。

 

この時の合図に使用されたのが、ドーナツ型の玉器でした。しかし項羽は劉邦が低姿勢だったので、殺す必要は無いと思い、踏みとどまりました。その後、范増が何度も合図を送っても無視しました。宴会の後に項羽は范増に今までの功績を表彰して、高価な玉器をプレゼントしました。ここでも玉器が登場します。

 

ところが、范増はそれを剣で破壊してしまいました。「あんな青二才とは天下を語るに足りない!我らは劉邦の捕虜になるだろう」と彼は叫びました。結果は、范増の言う通りでした。前202年、項羽は劉邦に滅ぼされました。しかし、すでに范増は世を去っていました。

 

 

 

印鑑男子 賈似道

玉璽に興奮する袁術

 

実は印鑑も玉器なのです。例えば皇帝が使用する玉璽(ぎょくじ)も玉器なのです。印鑑に関して1つの逸話があります。南宋(1127年~1279年)の末期の宰相に賈似道(かじどう)という人がいます。南宋滅亡の原因を作った宰相として有名であり、後世の人物からの評判はすこぶる悪いです。そのため南宋の〝専権宰相〟の1人として知られています。賈似道は姉が南宋第5代皇帝理宗(りそう)の寵愛を受けたので取り立てられました。その後、モンゴルとの戦で勝利したことで宰相にまで出世しました。

 

ところが勝利は全くの嘘であり、裏で勝手に講和を結んで勝利したと嘘の報告したとされています。ところで賈似道は、ある趣味を持っていました。それは美術品収集でした。ただの金持ちの道楽なのかと思われるかもしれませんが、これには理由がありました。靖康2年(1127年)に北宋(960年~1127年)は金(1115年~1234年)により滅ぼされました。この時、金の朝廷により多くの美術品が持ち去られました。

 

また、貿易でも高価な美術品が民間に流れました。賈似道は奪われた美術品をどうしても取り戻したかったのです。そこで宰相になると、苦労しながらも色々手を尽くして収集しました。賈似道が収集した美術品の多くには、彼の印鑑がぺたぺたと押されています。賈似道の別名は〝秋壑(しゅうがく)〟〝悦生(えつせい)〟です。印鑑の実物はもう残っていませんが、印鑑を押した美術品は残っています。

 

現在、南宋の美術品が残っているのは賈似道の美術品収集があったからです。たとえ国の滅亡の原因を作ったとしても、美術品をしっかりと取り戻して後世まで残した業績は評価しなければいけません。筆者は賈似道が楽しげに印鑑を押していた姿が目に浮かびます。

 

 

 

宋代史ライター 晃の独り言

 

 

実は宋代の玉器に関しては日本での研究は皆無です。中国では割と多いのですが、日本は玉器とくれば〝古代〟という発想力があるみたいです。筆者も思っていました。なので、今回はよい勉強になりました。

 

ちなみに、今回取り扱った賈似道は専権宰相の1人と記しましたが、残りは秦檜(しんかい)韓侂冑(かんたくちゅう)史弥遠(しびえん)の3人です。賈似道は近年、研究が活発に行われている人物として有名です。

 

※参考

・外山軍治『中国の書と人』(創元社 1971年)

 

 

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晃(あきら)

晃(あきら)

横山光輝の『三国志』を読んで中国史にはまり、大学では三国志を研究するはずだったのになぜか宋代(北宋・南宋)というマニアックな時代に手を染めて、好きになってしまった男です。悪人と呼ばれる政治家は大好きです。
         好きな歴史人物:
秦檜(しんかい)、韓侂冑(かんたくちゅう)、 史弥遠(しびえん)、賈似道(かじどう) ※南宋の専権宰相と呼ばれた4人です。
何か一言: なるべく面白い記事を書くように頑張ります。

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