曹操の軍師として活躍した荀攸。しかし荀攸がどれくらい凄いのかいまいち分かりにくい所があると思います。
そこで今回は荀攸のすごい逸話を紹介していきたいと思います。
この記事の目次
荀攸の凄い逸話その1:董卓に逮捕されても全然平気
荀攸の凄い逸話その1としては董卓に逮捕されても全然平気な所です。でも荀攸はどうして董卓に逮捕されたのでしょうか。
それは荀攸が董卓暗殺計画を計画し、実行しようとしていたからです。荀攸は荀彧と違って董卓に仕えていた時がありましたが、董卓の暴虐さを目の当たりにした事で、仲間たちと一緒に董卓を暗殺する計画を立てます。荀攸は董卓暗殺計画を計画しますが、計画がばれてしまい董卓につかまってしまいます。
荀攸の仲間は董卓に捕まった時、ビビって自殺。しかし荀攸は董卓に捕まって牢屋にぶち込まれても、全然平気で食事を食べたり、董卓に対する態度を変えることなく過ごす豪胆さを見せます。
その後荀攸は董卓が亡くなったことで解放されますが、董卓に捕まって荀攸ほどの豪胆さを見せた人はあまりなく、彼の豪胆さを伺う事の出来るエピソードではないでしょうか。
荀攸の凄い逸話その2:曹操・曹丕から尊敬された人物
荀攸の凄い逸話その2は曹操・曹丕から尊敬された人でした。荀攸は曹操から誘われて仕えることになりますが、この時曹操と面接が行われます。
曹操は荀攸と面接が終わった後、側近へ「公達はとんでもない人物だ。彼と一緒に計略を立てて実行すれば、天下を取ることも可能だろう」と大絶賛されています。更に曹操は「公達は愚かそうに見えるが、実は優れた才能を持った人物だ。また彼はひ弱そうに見えるが、勇気もあり、豪胆さを兼ね備えている人物だ。」と荀攸を褒めたたえます。
曹操は曹丕にも「公達は人の手本となる人物だ。お前もしっかりと礼を尽くして彼を敬うように」とアドバイスを行います。曹丕は父のアドバイスを受けて、荀攸が病気で臥せっている時、彼のお見舞いへ行って、しっかりと礼儀を尽くして心配したです。
曹操・曹丕二代にわたってこれほど敬われた人物は荀攸だけだと言えるでしょう。
荀攸の凄い所その3:自慢しなかったところ所
荀攸の凄い所その3は自慢しなかった所です。皆さんも営業で大きな商談をまとめた時や自分が企画した事業が大成功を収めた時って、誰かに話してちょっとくらい自慢したくなると思います。レンもそうです。
しかし荀攸は自分が立案した計略を肉親や一族などの親族に漏らすことなく秘密にして、自慢すらしなかったそうです。とっても立派な荀攸のエピソードを紹介しましたが、彼の計略などを知っていた人物が一人だけいました。
その人は鍾繇です。荀攸は鍾繇と仲が良かったのか彼だけには自分が立てた計略をすべて語っていたそうです。どうして荀攸は鍾繇だけに秘密にしていた計略を話したのでしょうか。
若い世代の育成も考えていた!?
荀攸が鍾繇にだけ自らが立案した計略を話した理由が資料にあるかどうか調べてみましたが、記載されていませんでした。
そのためここからはレンの推測になります。荀攸が鍾繇にだけ自分の計略を伝えた理由は、次世代を担う若い人材の助けになればと考え、伝えたのではないでしょうか。鍾繇は荀攸が立てた計略を聞いた時、一冊の本にしてまとめようと考え執筆をしていたそうです。ここから推察すると鍾繇が本を執筆して出版すれば、荀攸の計略がいろんな人に伝わります。
魏の次世代を担う若い人材も荀攸の計略を知ることになり、彼らの教育の助けになればと考え、鍾繇へ本を書いてもらうように依頼したのではないでしょうか。もしこの推測が正解ならならば、荀攸は、鍾繇へ自分の計略を話し、本を出版してもらう事で、魏の次世代を担う若い人材の育成も考えていたのではないでしょうか。
三国志ライター黒田レンの独り言
今回は荀攸の凄い逸話をいくつか紹介しました。荀攸は曹操軍の軍師として仕え、曹操の戦を助けてきた人物ですが、意外と地味でどのような活躍をした人物か知っている方も少ないと思います。
しかし荀攸は曹操軍の中でもトップクラスの軍略の持ち主で、凄い人物だったのです。この荀攸の逸話を見て荀攸の凄さが少しでも伝われば、幸いです。
■参考 正史三国志魏書など
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