[荀攸]彼の逸話が凄い!驚愕の事実を紹介

2023年12月13日


荀攸と曹操

 

曹操(そうそう)の軍師として活躍した荀攸(じゅんゆう)。しかし荀攸(じゅんゆう)がどれくらい凄いのかいまいち分かりにくい所があると思います。

 

荀攸

 

そこで今回は荀攸のすごい逸話を紹介していきたいと思います。

 

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



荀攸の凄い逸話その1:董卓に逮捕されても全然平気

荀攸と牢屋

 

 

荀攸の凄い逸話その1としては董卓(とうたく)逮捕(たいほ)されても全然平気な所です。でも荀攸(じゅんゆう)はどうして董卓に逮捕されたのでしょうか。

 

 

董卓を暗殺しようとする荀攸

 

 

 

それは荀攸が董卓暗殺計画を計画し、実行しようとしていたからです。荀攸は荀彧(じゅんいく)と違って董卓に仕えていた時がありましたが、董卓の暴虐(ぼうぎゃく
)
さを目の当たりにした事で、仲間たちと一緒に董卓を暗殺する計画を立てます。荀攸は董卓暗殺計画を計画しますが、計画がばれてしまい董卓につかまってしまいます。

 

 

小帝と董卓

 

 

荀攸の仲間は董卓に捕まった時、ビビって自殺。しかし荀攸は董卓に捕まって牢屋にぶち込まれても、全然平気で食事を食べたり、董卓に対する態度を変えることなく過ごす豪胆さを見せます。

 

 

呂布に暗殺される董卓

 

 

その後荀攸は董卓が亡くなったことで解放されますが、董卓に捕まって荀攸ほどの豪胆さを見せた人はあまりなく、彼の豪胆さを伺う事の出来るエピソードではないでしょうか。

 

 

 

 

荀攸の凄い逸話その2:曹操・曹丕から尊敬された人物

荀攸と曹操

 

 

荀攸の凄い逸話その2は曹操(そうそう)曹丕(そうひ)から尊敬された人でした。荀攸は曹操から誘われて仕えることになりますが、この時曹操と面接が行われます。

 

 

荀攸

 

 

曹操は荀攸と面接が終わった後、側近へ「公達はとんでもない人物だ。彼と一緒に計略を立てて実行すれば、天下を取ることも可能だろう」と大絶賛されています。更に曹操は「公達は愚かそうに見えるが、実は優れた才能を持った人物だ。また彼はひ弱そうに見えるが、勇気もあり、豪胆さを兼ね備えている人物だ。」と荀攸を褒めたたえます。

 

 

荀攸

 

 

曹操は曹丕にも「公達は人の手本となる人物だ。お前もしっかりと礼を尽くして彼を敬うように」とアドバイスを行います。曹丕は父のアドバイスを受けて、荀攸が病気で臥せっている時、彼のお見舞いへ行って、しっかりと礼儀を尽くして心配したです。

 

 

曹操と曹丕

 

 

曹操・曹丕二代にわたってこれほど敬われた人物は荀攸だけだと言えるでしょう。

 

 

 

荀攸の凄い所その3:自慢しなかったところ所

荀攸と荀彧

 

 

荀攸の凄い所その3は自慢しなかった所です。皆さんも営業で大きな商談をまとめた時や自分が企画した事業が大成功を収めた時って、誰かに話してちょっとくらい自慢したくなると思います。レンもそうです。

 

 

荀攸

 

 

しかし荀攸は自分が立案した計略を肉親や一族などの親族に漏らすことなく秘密にして、自慢すらしなかったそうです。とっても立派な荀攸のエピソードを紹介しましたが、彼の計略などを知っていた人物が一人だけいました。

 

 

鍾繇(しょうよう)

 

 

その人は鍾繇(しょうよう)です。荀攸は鍾繇と仲が良かったのか彼だけには自分が立てた計略をすべて語っていたそうです。どうして荀攸は鍾繇だけに秘密にしていた計略を話したのでしょうか。

 

 

 

若い世代の育成も考えていた!?

荀攸と荀彧

 

 

荀攸が鍾繇にだけ自らが立案した計略を話した理由が資料にあるかどうか調べてみましたが、記載されていませんでした。

 

 

三国志ライター黒田レン

 

 

そのためここからはレンの推測になります。荀攸が鍾繇にだけ自分の計略を伝えた理由は、次世代を担う若い人材の助けになればと考え、伝えたのではないでしょうか。鍾繇は荀攸が立てた計略を聞いた時、一冊の本にしてまとめようと考え執筆をしていたそうです。ここから推察すると鍾繇が本を執筆して出版すれば、荀攸の計略がいろんな人に伝わります。

 

 

文臣の最高官位に登る鍾繇(しょうよう)

 

 

魏の次世代を担う若い人材も荀攸の計略を知ることになり、彼らの教育の助けになればと考え、鍾繇へ本を書いてもらうように依頼したのではないでしょうか。もしこの推測が正解ならならば、荀攸は、鍾繇へ自分の計略を話し、本を出版してもらう事で、魏の次世代を担う若い人材の育成も考えていたのではないでしょうか。

 

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

今回は荀攸の凄い逸話をいくつか紹介しました。荀攸は曹操軍の軍師として仕え、曹操の戦を助けてきた人物ですが、意外と地味でどのような活躍をした人物か知っている方も少ないと思います。

 

 

荀攸

 

 

しかし荀攸は曹操軍の中でもトップクラスの軍略の持ち主で、凄い人物だったのです。この荀攸の逸話を見て荀攸の凄さが少しでも伝われば、幸いです。

 

■参考 正史三国志魏書など

 

 

▼こちらもどうぞ

【知りたくなかった!】本当は書くほどの内容でもない赤壁の戦い

 

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

-三国志の雑学
-