南蛮・孟獲の弟の孟優。出番が少ないことから影の薄い存在です。しかし、軍師とは影で操るのがセオリー。果たして孟優は、どんな手練手管で諸葛亮軍を倒そうとしていたのでしょうか。
孟獲の武、孟優の知
周囲の村の有力者を懐柔して戦力を増強する孟優。まるで革命家のような存在です。
ところが、孔明に何度も敗北する孟獲が繰り返し反撃できたのは、孟優の智謀知略があったのです。2回も諸葛亮に捕まった孟獲を見かねて、孟優が次に繰り出した作戦は内部工作でした。いわゆるスパイです。
一所懸命戦って敗れ、諸葛亮軍に服従するフリをして、実際はスパイ活動を行うという方法でした。敵陣にいれば、次の攻撃方法や撤退するか否かの情報も入手しやすくなります。
諸葛亮は南蛮軍を見下していますから、孟優は簡単に情報収集できると思ったのでしょう。孟優は諸葛亮から勧められ、酒をグイっとあおってしまいます。
孟優の策を見抜いていた諸葛亮、中にはしっかりと毒を盛っていました。しかし、毒は軽いもので死には至らず、たまたま攻めてきた兄の孟獲も捕らわれ、まとめて釈放されます。孟優、3回目の敗退です。
朶思大王を頼る孟優
さて、4回目の反撃をしようと孟獲に打ち明けられた孟優、朶思大王ならば何とかしてくれるかもしれないと彼を頼ります。朶思大王は”禿竜洞”という村を守る豪族でした。南蛮随一の知恵を持つと噂され、彼ならばいけると思ったのでしょう。孟獲を連れて、朶思大王のいる禿竜洞の地へ足を踏み入れます。
南蛮のボスである孟獲も違う部族のいる村へは敬意を払って訪問。朶思大王からの許しを得て、ようやく諸葛亮討伐の知恵を借りることに成功します。
朶思大王によれば、南蛮はとても暑い地域であるから、諸葛亮軍がココを攻める際はのどが渇いているだろうと推測したのです。禿竜洞へ通じる道は2つあり、正規ルートを塞ぎ、裏ルートの毒の泉がある道だけを解放しておきました。
孔明軍は、禿竜洞を攻めますが、先行した兵士たちが戻ってこないと関索は不思議に思います。行ってみると切り込んだ王平部隊は、毒の泉によって行く手を塞がれていたのです。まさに朶思大王の戦略通りでした。
孟優は笑いが止まりません。しかし、南蛮軍に裏切り者がいたのです。
孟獲の兄で”孟節”という人物でした。
彼は”万安”という名で接触、解毒剤を作って王平部隊を救ったのでした。実は万安を連れてきたのは諸葛亮でした。協力してくれたら蜀の重役につけるとでも誘ったのでしょう。こうして、孟獲は窮地に追い込まれます。
援軍到来!
禿竜洞の隣に”銀冶洞”という村がありました。そこには楊鋒という武将がいて、南蛮軍の頼りになる仲間でした。孟優も朶思大王も勝利は近いと確信したのか、楊鋒が援軍としてやってくると盛大にもてなします。
しかし、宴で事件が起きるのが中国小説の定番。宴の美人ダンサーとして踊っていたのは、楊鋒配下の女性兵士たちだったのです。いい気分で酔っていた孟優や孟獲は彼女たちの素早い動きで体を拘束されてしまいます。
実は楊鋒も諸葛亮サイドに寝返っていたのです。孟獲の兄である孟節だけでなく、隣村の楊鋒までも味方に引き入れていた諸葛亮軍。孟優の軍略など足元にも及びません。月とすっぽん、提灯に釣り鐘です。
孟優らは捕縛されると諸葛亮に身柄を引き渡されます。ところが、”七縦七擒”の策によって今回も釈放された孟獲と孟優。無事、自分たちの村へと還されます。
結局、孟優はどうなったの?
さて、7回に渡り、捕縛と釈放を繰り返した孟獲と孟優のデコボココンビ。諸葛亮の策に感服したのか、孟獲は7回目の釈放のときは逃げる素振りも見せません。孟獲が心から蜀の支配下に入ることを受け入れた瞬間でした。弟の孟優は兄に従い、帰順します。そして、処刑されることなく、兄と協力して南蛮の地を統治するよう蜀から命じられることとなりました。
三国志ライター上海くじらの独り言
毒の泉や朶思大王が登場する諸葛亮の南蛮討伐は、奇想天外なストーリーが多い回です。
曹操や孫権との戦いと違い、三国志のスパイスような役割を果たしています。また、金環三結のような見慣れないネーミングが登場するのも面白いですね。
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