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[諸葛亮の筆]科挙参考書でも光る、そのヘタうま名文

2024年3月11日


諸葛亮

 

「亮の文彩艶(ぶんさいえん)ならず、丁寧周至に過ぐ」(諸葛亮の修辞には(あで)やかさがなく、丁寧すぎてくどくどしている)これは正史三国志の著者・陳寿の文章の中にある、当時の論者が諸葛亮(しょかつりょう)の文章を評した言葉です。

 

諸葛亮の文章といえば千古の名文「出師の表」が有名ですが、陳寿が生きた三国時代末期~晋の時代には諸葛亮の文章はあまり上手じゃないと思われていたようです。どんなところがヘタクソなのか、同時代の人の文章と見比べて考えてみましょう。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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同時代人の酷評に陳寿が反論

同時代人の酷評に陳寿が反論

 

冒頭(ぼうとう)に挙げた「亮の文彩艶ならず、丁寧周至に過ぐ」は、正史三国志諸葛亮伝の最後のほうにある、陳寿が諸葛氏集を皇帝におさめたときの表文の中の一文です。諸葛氏集をおさめるにあたり、陳寿は諸葛亮が立派な人だったことをアピールする文章を添えました。

 

その中で、諸葛亮の文章を「艶ならず丁寧周至に過ぐ」って言う人がいるけどその批判は的が外れていると陳寿は主張しました。陳寿によれば、諸葛亮の文章は一般人や平凡な士に向けて書かれたものであるので、賢い人向けの文章と同じ次元で論じるのは間違いであるということらしいです。諸葛亮の文章は高遠なものではないけれども、条理がつくされており誠実さがあらわれている文章であると、陳寿はフォローしております。

 

 

艶やかで流れるような名文とは

曹植

 

諸葛亮の文章が艶やかさのない丁寧すぎる文章だとすれば、逆に、艶やかで流れるような文章とはどのようなものだったのでしょうか。諸葛亮と同世代の曹植(そうしょく)の文章を見てみましょう。(漢文マニアじゃない方は読もうと思わずに ざーっと斜め読みして下さい)

 

今 臣 国の重恩を蒙ること、今に三世なり。

まさに陛下升平の際に()い、聖沢に沐浴し、徳教に潜潤す。厚幸と謂うべし。

しかも位 東藩(とうはん)(ぬす)み、爵 上列に在り。

軽煖(けいだん)を被り、口 百味に厭き、目 華靡(かび)を極め、耳 絲竹に倦む者は、爵重く禄厚きのいたす所なり。

退いて(いにしえ)の爵録を受けし者を(おも)うに、これに異なるあり。皆 功勤 国を(すく)い、主を(たす)け民を恵むをもってなり。

今 臣 徳の述ぶるべきなく、功の(しる)すべきなし。

かくのごとくにして年を終わらば、国朝に益なく、まさに風人彼己(ふうじんひき)(そし)りに(かか)らんとす。

ここをもって上は玄冕(げんべん)()じ、()しては朱紱(しゅふつ)媿()ず。

 

※書き下し文引用元:『新釈漢文大系82文選(文章篇)上』明治書院 1994年7月15日 原田種成

一部表記を変えました。(旧字を当用漢字に変える、一部漢字をひらがなにする、スペースを入れる、など)

 

曹叡

 

この文章、曹植が魏の三代皇帝曹叡(そうえい)に対し、自分は国の役に立ちたいからもっと仕事をさせてくれとアピールした表文「求自試表(きゅうじしひょう)(自試を求むる表)」の一部です。三代にわたる皇帝から恩を被っているのに、自分には徳も功績もない。

 

いにしえの時代には功績のあった者が爵禄を受けたのであり、自分が国の役に立たないまま過ごしていることは自分がいただいている地位に対して恥ずかしい。と、このような内容です。

 

 

どこが艶やかで流れるようなのか?

曹植の詩はどこが艶やかで流れるようなのか?

 

この曹植の文章は諸葛亮の文章とくらべるとかなり艶やかで流れるようなのですが、具体的にどこらへんが艶やかで流れるようなのでしょうか。例えば、次のような一文

 

身 軽煖(けいだん)を被り、口 百味に()き、目 華靡(かび)を極め、耳 絲竹に倦む

 

体には軽くて暖かい服を着て、口には食べ飽きるほどのごちそう。目にうつるものは華美を極め、耳は音楽を聞き放題。これは、曹植が “自分は高い地位にいる”と言いたいだけのために記した描写です。ひとこと “高い地位にいる”って言えばよさそうなのに、これほどの過剰描写。こういうのが当時の艶やかな文章だったのです。もう一つ例をあげますと、文章の最後のほうにある次のような部分。

 

上は玄冕(げんべん)()じ、()しては朱紱(しゅふつ)媿()ず。

 

これだって、地位に対して恥ずかしい、ってひとこと言えばいいだけなのに、いちいち自分のセレブ装束の描写を書くあたりが、現代人から見れば実用文らしからぬキザったらしい駄文に見えます。(文学作品だったら素晴らしい名文ですけど、実用文としては現代の基準からすれば駄文です)こういうのが三国時代の名文です。

 

 

 

艶やかさがない諸葛亮の文章

艶やかさがない諸葛亮の文章

 

諸葛亮の「出師の表」は味も素っ気もありません。よけいな修飾語は入っておらず、現代人から見てすっきりして見える実用的な文章です。冒頭の部分を見てみましょう。

 

 

臣亮(もう)す。

先帝業を(はじ)めていまだ半ばならずして、中道に崩殂(ほうそ)す。

今天下三分して、益州罷弊す。

これ誠に危急存亡の(とき)なり。

しかれども侍衛の臣、内に(おこた)らず、忠志の士、身を外に(わす)るる者は、

けだし先帝の遇を追いて、これを陛下に報いんと欲すればなり。

 

非常にすっきりしていますね。例えば、「身を外に(わす)るる者」なんていう部分は、曹植だったらダイレクトに「身を外に亡るる」なんて書かないで、夜明け前に出かける人の衣服にかかる露の描写だとか、出先で簡単に済ませる粗末な食事のメニューとか、そんな描写を漢字三十文字ぐらい費やして表現するでしょう。

 

諸葛亮の文章はゴツゴツしていて、味も素っ気もありません。読んでいて描写の面白みがないです。しかし現代人の目から見て、実用文としての機能美を感じます。

 

 

後代のお手本になったヘタうま名文

後代のお手本になったヘタうま名文

 

曹植はどうしてあんなキザったらしい駄文(現代的な実用文としては)を書いたのでしょうか。それは、曹植の生きた時代には実用文も文学的な名文じゃないとアホの落書きみたいに思われてまともに読んでもらえなかったからです。実用文の理想型が違ったのですね。

 

三国時代の基準からすると描写の工夫のない駄文だった諸葛亮の文章。諸葛亮の実直さとアツい魂が伝わってくるため、それはそれで名文ということになりました。諸葛亮の文章が俄に注目されるのは、唐の時代になってからです。

 

唐代になると、魏晋南北朝(ぎしんなんぼくちょう)時代の華美なばかりで内容に乏しい筆致が嫌われ始め、古文復興運動がおこりました。このとき、三国時代のトレンドから外れていた諸葛亮の雄渾な筆致が評価されました。諸葛亮の「出師の表」は、後に国家公務員試験である科挙の受験参考書のような『文章規範』という本に収録され、名文のお手本となりました。

 

 

三国志ライター よかミカンの独り言

三国志ライター よかミカンの独り言

 

曹植の文才はちょっと特殊ですが、正史三国志に載っている・呉・蜀のいろんな人の手紙をぱらぱらと眺めてみても、それぞれ多様な例をひきながら長々と文章がつづられていました。それらに比べると、諸葛亮の手紙はなぐりがき同然に見えてしまうほど簡潔で短いものばかりでした。

 

諸葛亮はやりたいことがたくさんありすぎて、修辞に時間をかけるのがもどかしかったのかもしれませんね。諸葛亮といえば線の細い文人のイメージがありますが、案外ワイルドでパワフルで強引な人だったのかもしれないと、文章を見て感じました。

 

 

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よかミカン

よかミカン

三国志好きが高じて会社を辞めて中国に留学したことのある夢見がちな成人です。 個人のサイトで三国志のおバカ小説を書いております。 三国志小説『ショッケンひにほゆ』 【劉備も関羽も張飛も出てこない! 三国志 蜀の北伐最前線おバカ日記】 何か一言: 皆様にたくさん三国志を読んで頂きたいという思いから わざとうさんくさい記事ばかりを書いています。 妄想は妄想、偏見は偏見、とはっきり分かるように書くことが私の良心です。 読んで下さった方が こんなわけないだろうと思ってつい三国志を読み返してしまうような記事を書きたいです!

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