西暦227年、蜀が第一次北伐の準備を始める前に、蜀の丞相・諸葛亮が皇帝・劉禅に奉ったという上奏文「出師の表」。宋の時代から「諸葛亮の出師の表を読みて泪を堕さざれば、その人必ず不忠」と言われており、泣かせる名文として有名ですが、はたして本当に泣ける内容なのでしょうか。心の美しくない私から見ると、泣かせどころが不明な単なる実用文に見えるのですが……
この記事の目次
「出師の表」が書かれた背景
出師の表とは、臣下が出陣するときに主君に提出する書面で、主君の面前で読み上げてうやうやしく奏上するものです。「出師の表」は、蜀の初代皇帝・劉備が亡くなった後に、蜀が魏に対して初めて本格的な侵攻を始めようとしていた時、丞相(総理大臣のようなもの)の諸葛亮が二代目皇帝・劉禅に奏上したものです。
当時、劉禅は帝位について間もない二十歳そこそこの若者で、諸葛亮が政務をになっていました。その諸葛亮が総司令官となって前線におもむくため、都をお留守にすることになるから心配だなー、という状況で、「出師の表」は書かれました。
さっそく「出師の表」を読んでみる
書き出しはなかなかいい感じでして、私の好きな部分です。
先帝、業を創めて未だ半ばならずして中道にして崩殂し、
今、天下三分し、益州疲弊す。此れ誠に危急存亡の秋なり。
先帝が志半ばで亡くなり、天下は魏、呉、蜀の三つに分かれてしまっており、我が国は疲弊しており、国家存亡の危機であります。と、目下の大変な状況を語っております。今がふんばりどころだぞ! って言ってるんですね。ちなみに、「秋」は「あき」じゃなくて「とき」と読むそうです。
秋は農作物の収穫に重要な季節であることから転じて、物事の肝要な時機のこと。中国語ではどちらも「qiu」です。訓読でいちいち読み方を変えるなんて、日本人のオリジナルじゃないでしょうかね。で、うっかり「あき」って読むとめっちゃ馬鹿にされるんですよ。ブツブツ。
若い皇帝にプレッシャーをかける
冒頭の“今がふんばりどころだぞ!”の次には、臣下たちが一生懸命働いてることをアピールする文章が続きます。
然るに侍衛の臣、内に懈らず、忠志の士、身を外に亡るるは、
蓋し先帝の殊遇を追いて、之を陛下に報ぜんと欲すればなり。
誠に宜しく聖聴を開張し、以て先帝の遺徳を光かし、
志士の気を恢弘すべし 。宜しく妄りに自ら菲薄し、
喩えを引き義を失いて、以て忠諫の路を塞ぐべからず。
なんか、説教始まりました。臣下たちは先帝のご恩に報じるために一生懸命働いているから、耳の穴をかっぽじってしっかり臣下の言うこと聞きやがれ、って言ってるんですね。このあとには、賞罰の査定のスタンスについての説教が続きます。
宜しく偏私して、内外をして法を異にせしむべからず。
担当部署に手順通りに裁かせるようにして、皇帝の私情をはさまないようにしろと言っております。
自分の子分たちを皇帝に押しつける
続いては、郭攸之、費褘、董允、向寵といった人名を挙げて、彼らはナイスガイであって先帝にも評価されたのだと強調し、彼らの言うこと聞いとけよこの若造、と言っております(「若造」とまでは言っていませんが)。先帝の威光によって二代目にプレッシャーをかけるという手口ですな。若造のお前より先帝に評価された臣下のほうが偉いんじゃ、勝手に政治をいじくりまわすなよ、って言いたいんじゃないでしょうかね。そうとは名言していませんが。
この四名は全員荊州の出身です。つまり、諸葛亮は自分の荊州時代からの人脈でつながっている子分たちを皇帝に押しつけているわけです。自分が都を留守にしても、皇帝が自分の子分たちの操り人形でいてくれれば諸葛亮は安心できますからね。子分たちを推薦した後、諸葛亮はこんなことを書いております。
賢臣に親しみ小人を遠ざくるは、此れ先漢の興隆せし所以なり。
小人に親しみ賢士を遠ざくるは、此れ後漢の傾頽せし所以なり。
先例を挙げながら、自分が推薦した立派な臣下たちの言うことを聞かなきゃお前はアホじゃ、と釘をさしているんですね。アホじゃとは言っていませんが。後漢みたいに傾いちゃうぞ、って脅かしております。(こんな表文を受け取って、もしも皇帝がその四名を全然使いたくないと思っていたら、どうやって拒めばいいんでしょうかね。「バッキャロー、却下じゃ。書き直せ!」って言えばいいんでしょうか)
自分が先帝に高く買われていたことをアピール
“俺の子分の言うことを聞いとけ”と言った後には、唐突に諸葛亮の思い出話が始まります。臣本布衣、うんぬんかんぬん。要約すると、こんな感じです。
ペーペーだった自分が住んでいたボロ屋敷に先帝は三回も足を運んで
自分をスカウトした。(それほど先帝は自分を評価していた)
先帝のすごいピンチの時にも自分は補佐してきて、もう二十一年も経つ。
先帝は亡くなる時には自分に国家の大事を託した。(自分はただの臣下とは別格だ)
自分は先帝の期待にこたえるために夜も眠れないほど心をくだいている。
だからこのあいだは南方の不毛の地に遠征して行って兵隊要員を
とっ捕まえてきた(偉いだろう)。兵隊をゲットしたから今度は北の魏をやつけに行く。
これは先帝の恩に報い、二代目に忠をつくすためにやることである(感謝しろ)。
自分が先帝に高く買われていたことと、自分の功績をアピールしつつ、先帝の恩に報い二代目に忠をつくすためにいま軍を起こすのだ、と、自分の出征に誰も文句をつけられないようにくどくどと言っております。
お互いガンバローと熱くまとめる。そして涙。
最後のほうは北伐にあたっての覚悟を熱く語っております。
損益を斟酌し、進みて忠言を尽くすに至りては、則ち攸之・褘・允の任なり。
願はくは陛下、臣に託するに討賊興復の効を以ってせよ。
効あらずんば則ち臣の罪を治め、以て先帝の霊に告げよ。
若し徳を興すの言無くんば、則ち攸之・褘・允等の慢を責め、
以て其の咎を彰わせ。
意味:内政を補佐するのは郭攸之、費褘、董允たちの仕事ですから、私には外征をお任せ下さい。失敗したら煮るなり焼くなり好きにしやがれ(絶対勝つから待ってろ若造)。内政をしっかり助けてもらえない時は郭攸之、費褘、董允らを責めろ(彼らは絶対ちゃんとやる)。
陛下も亦た宜しく自ら謀りて以て善道を咨諏し、雅言を察納し、
深く先帝の遺詔を追うべし。
意味:先帝の遺詔にそむかないようにお前もしっかりがんばれ若造。
臣、恩を受くるの感激に勝えず。今遠く離るるに当たり、表に臨みて涕零し、言う所を知らず。
意味:若造、いつもありがとう!!遠く離れると思うと泣けてきて何言えばいいかもう分かんない。おわり。
三国志ライター よかミカンの独り言
「出師の表」の全体的な趣旨としては、自分が戦いに集中できるように自分の子分を皇帝に貼り付けておくための実用文であって、とりたてて泣かせるようなものではありません。しかし、最後のほうはなかなか熱くていい感じですね。「こちとら首をかけてやってるんだい。止めたって無駄だかんな」っていう意味ですよね。根性入ってます。出師の表を読んで泣けるというのは、この部分を読んで熱い涙をたぎらせるということでしょうか。
この表文を上奏されて、皇帝劉禅はどう思ったでしょうね。私の想像では、こんなところかと……↓(暑苦しいうざいおじさんだけど、まあ一生懸命やってくれてるからいいかなぁ。どうせ彼の勢力を排斥するほどの力は自分にはないし……)
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