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諸葛恪の隠された欠点、天才の影に隠れた[真実]

2024年9月7日


諸葛恪

 

 

諸葛恪(しょかつかく)は幼いころから優秀で多くの孫呉の家臣からも期待をもたれていた人でした。

 

諸葛恪

 

また孫権(そんけん)は彼の臨機応変な才能を気に入っていたそうです。さらに父諸葛瑾(しょかつきん)からは「家を大きくするのはこの子」と言わしめた人です。さてこれだけほめられていた諸葛恪ですが、欠点などあるのでしょうか。今回は彼の欠点を調査してみました。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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諸葛恪の欠点その①:大雑把な性格

諸葛恪

 

諸葛恪の欠点を正史三国志などで調べてみると色々と発見することができましたので紹介していきましょう。はじめに諸葛恪の欠点その①として大雑把(おおざっぱ)な性格をあげることができます。諸葛恪のどこら辺が大雑把な性格なんでしょうか。このようなエピソードが残っています。

 

孫権は食料を管理する役職を作り、初代の食糧管理の役職の人が亡くなると諸葛恪をこの役職に任命します。諸葛瑾の弟・諸葛孔明(しょかつこうめい)はこのことを伝え聞くと孫呉の重鎮・陸遜(りくそん)

 

「兄は老いてしまい、重要な役目を担うことができなくなってしまいました。本来であれば孫権様が新しく設置した食料管理の役職は兄が就くべきなのですが、息子の諸葛恪が就いたことを先ほどお聞きしました。そこであなた様にお願いがあるのですが、諸葛恪は性格が大雑把で管理する役職などには向いていません。そのため孫権様に諸葛恪を食料管理の役職からはずしてもらうように伝えていただけませんでしょうか。軍には食糧の管理が大切であり諸葛恪には向きませんので、よろしくお願いします。」と送るのでした。

 

陸遜 は孔明のアドバイスを聞き入れて孫権に諸葛恪じゃない人に食糧管理をさせるようにお願いします。孫権は陸遜 のお願いを聞いて諸葛恪を食糧管理の役職から外す事にするのでした。孔明が危惧を抱くほど大雑把な性格をしていた諸葛恪。彼の欠点といえるところでしょう。

 

 

諸葛恪の欠点その②人の意見を聞かない

諸葛恪

 

諸葛恪の欠点その②としては人の意見を聞かない所です。諸葛恪は東興(とうよ)の戦いで大勝利した翌年、再び大軍を率いて魏の領土へ攻め込む作戦を立案し会議にかけるのでした。孫呉の人々は諸葛恪の作戦を聞いて「やめた方がいい」と反対意見を述べる人がいっぱいいました。しかし諸葛恪は「うるせぇ!!俺が昨年魏に大勝利したの忘れたのか。俺しか魏を打ち破れないんだから反対意見なんていうんじゃねーよ」と言ってブチきれてしまいこの意見を押し通して作戦を行います。

 

諸葛恪の栄光と破滅04 諸葛恪

 

この作戦には孫呉の家臣団だけでなく領民も反対していましたが、すべての意見を無視して諸葛恪は作戦を実行するのでした。そして結果は大敗北で終わってしまいます。諸葛恪は人の意見に耳を傾けない所は大きな欠点といえるのでしょう。

 

 

 

諸葛恪の性格その③負けず嫌いな誰にでも噛み付く困った性格

諸葛恪

 

諸葛恪の欠点その③は負けず嫌いな性格でしょう。負けず嫌いなのは悪いことではありませんが誰に対しても負けず嫌いだからといって噛み付いてはいけないと思いませんか。しかし諸葛恪は負けず嫌いで誰にでも噛み付いてしまうのです。このようなエピソードが残っています。

 

諸葛恪は孫権の息子孫登(そんとう)の側近となったとき、孫登がからかって「お前は馬の糞でも食ってろ」と言われてしまいます。諸葛恪はちょっと考えた後、「では孫登様には鳥の卵を食べていただきましょう」と述べるのでした。孫権はこの話を聞いて諸葛恪へ「どうして孫登から馬の糞を食えといわれて、君は鳥の卵を孫登に食えなんていったんだい」と質問。すると諸葛恪は「出所が一緒じゃないですか」と孫権に答えるのでした。孫権はこの話を聞いて笑っていたそうです。

 

しかし孫権は諸葛恪を可愛がっていたから笑って済ませることができましたが、普通に考えれば王様の息子に対して負けず嫌いだからといって噛み付くのはかなり礼を失っているといえるのではないのでしょうか。このことをよく考えれば、目上の人に対しても平然と噛み付く性格だと言え、目上の人が役にたたない人なればいいかもしれませんが、陸遜 のような有能な人に対しても噛み付いていたのであれば困った性格だと思いませんか。

 

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レンの独り言

 

今回は諸葛恪の欠点を紹介しました。三国志の作者・陳寿は「諸葛恪は才気にあふれ、大きな展望をもって働く事ができ、国内の人々の賞賛を受けていたが、傲慢(ごうまん)であった事を誇って他人を見下していたのだから、身を滅ぼすことも当然」と評価。かなり手厳しい評価がされていますが、諸葛恪の欠点はそれだけ致命的な事だったと言えるのではないのでしょうか。

 

参考 ちくま学芸文庫 正史三国志呉書など

 

▼こちらもどうぞ

諸葛恪(しょかつ かく)ってどんな人?|頭が良すぎて諸葛一族を滅ぼす

 

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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