今回お話しするのは水滸伝に出てくる地妖星の生まれ変わり、杜遷についてです。水滸伝の梁山泊の中でも最古参とも言える人物ですが、その最古参になるにまで……まあ、本当に色々な経験をした人物。そんな杜遷はどうして最古参となれたのか?
彼から学べるのは凡人の処世術か?それとも?じっくりと見ていくとしましょう。
この記事の目次
- 杜遷(とせん)とはどんな人物か?
- あだ名「摸着天(もちゃくてん)」の意味と由来
- 梁山泊での序列(席次)の変遷
- 梁山泊「創業期」の杜遷~王倫時代のナンバー2~
- 王倫・宋万との旗揚げ
- 林冲(りんちゅう)入山時の「良心」
- 激動の「政権交代」~王倫の死と杜遷の決断~
- 晁蓋(ちょうがい)強奪団の来山とクーデター
- なぜ杜遷は粛清されなかったのか?
- 豪傑たちの影で~晁蓋・宋江時代の杜遷~
- 次々と現れる英雄たちと「窓際族」化
- 相棒・宋万(そうまん)とのニコイチ関係
- 杜遷の最期と評価~梁山泊の終焉~
- 方臘(ほうろう)征討戦でのあっけない死
- 考察:杜遷から学ぶ「凡人」の生存戦略
- ナンバー2から平社員へ落ちても腐らないメンタル
- 梁山泊にとって「杜遷」とは何だったのか
- 三国志ライター センのひとりごと
杜遷(とせん)とはどんな人物か?
前述したように、杜遷は地妖星の生まれ変わり。科挙の試験に落第した友人、王倫と共に山賊を率いて梁山泊の第二頭領として名を響かせていました。
この際の梁山泊の人数は七百から八百ほどと、かなりの規模の人数を率いていたことになります。またかなりの巨漢であることが知られていますが、友人の王倫に言わせるとその武力は十人並みとは言われています。
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あだ名「摸着天(もちゃくてん)」の意味と由来
そんな杜遷の気になるあだ名は「摸着天」といいます。摸着とは撫でる、触れるという意味を持ち、天はそのまま宙の天を意味しますので、この摸着天というあだ名は、天にも届く、もしくは天にも届きそうだということ。これは杜遷がかなりの巨漢であったことからついたあだ名ですね。
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梁山泊での序列(席次)の変遷
その杜遷ですが、梁山泊の最古参であり、作中では最もその序列の変化が甚だしいことでも有名です。初めは頭領の一人であり、第二の頭領でした。しかし王倫から代替わりし、その序列はどんどん下がっていき、最終的には同じく古参であった宋万よりも下がって、八十三位にまで落ちてしまうこととなります。そこに至るまでに何があったのか、杜遷のストーリーを追っていきましょうか。
梁山泊「創業期」の杜遷~王倫時代のナンバー2~
元々、梁山泊の始まりは王倫からです。この王倫が書生をしていた頃に、科挙の試験で落第しました。これでやけになったのか、友人である杜遷を誘って山賊となり、梁山泊を根城にすることとなったのです。この時点で杜遷はナンバー2でした。その梁山泊はどんな意味にしろ評判となったようで、数多くの荒くれたちが集まるようになります。
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王倫・宋万との旗揚げ
ここに宋万、朱貴らも加わって梁山泊の原型のようなものが出来上がっていきます。しかし彼らの想像以上に、人々が集まってきました。その数はやがて八百ともなり、杜遷たちはその数を率いるだけの頭領となっていったのです。これについて彼らがどう思っているかは分かりませんが、宋万が雲裏金剛と名乗って自分の実力以上を誇示するようになったように、どうにか頭領として面子を保とうとしている節もあるので、本心はここまで大きくなるとは……と思っていたのかもしれませんね。
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林冲(りんちゅう)入山時の「良心」
さて、運命は動き出します。ある冬、もと八十万禁軍の武芸師範だった人物が柴進の紹介もあって梁山泊を訪れました。この人物こそ林冲です。
しかし首魁の王倫は林冲が秦の豪傑であることにより、自分の地位を脅かすのではと畏れ、理由を付けて林冲を追い払おうとしました。これを止めてくれたのが杜遷、そして宋万、朱貴たちです。ここでどうなって林冲が仲間入りするのかについて、詳しいことは王倫の記事にて。とりあえず不満と種火を抱えながら林冲は梁山泊入りすることとなりました。
王倫の詳しい記事は以下から
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激動の「政権交代」~王倫の死と杜遷の決断~
次にやってきたのが晁蓋一味。
再びの豪傑(複数)登場に林冲と同じ方法で追い払おうとする王倫、しかしこれに以前から不満を持っていた林冲の怒りが爆発することになりました。
林冲の物言いに怒り、罵声を飛ばす王倫、これに林冲は宴の机を蹴り飛ばして王倫に肉薄。取り出した刃で王倫を一突き、これに王倫は倒れ、王倫時代の梁山泊の幕は閉じます。
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晁蓋(ちょうがい)強奪団の来山とクーデター
ただこれには林冲も知らぬ、呉用による智謀が裏にあり。訪れた日の宴の席で既に林冲が王倫に不満を抱いていることを見抜いていた王倫は、晁蓋たちに「何かあれば林冲の見方をする」と話を通してあったのです。このため林冲の急な行動に驚き、何とか止めようとした杜遷たちでしたが、彼らの行動は晁蓋たちに邪魔され、クーデターを許すこととなったのでした。しかし杜遷たちはここで王倫の敵討ちなどは行わず、晁蓋たちの配下になるように懇願します。こうして杜遷たちは、晁蓋たちの梁山泊で生きていくこととなりました。
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なぜ杜遷は粛清されなかったのか?
さて、杜遷は王倫の友人であり、梁山泊最古参とも言える人物です。しかし王倫と違って杜遷は粛清対象にはなっていません。これは何故か?考えられる理由としては、王倫と違って林冲の怒りの対象ではなかったことが第一でしょう。寧ろ王倫に追い払われそうになった際に、庇ってくれてもいますしね。また、粛清理由がないと言えばないというのも杜遷のポイントでしょう。
晁蓋たちに反抗することもなく、配下に加えて欲しいと言っている相手、情けないと言えば情けないのかもしれませんが、生きていこうというガッツは評価できます。……とても嫌な見方をすれば、晁蓋たちからすれば杜遷たちはいつでも粛清できるだけの力の差があった、ともいえるのかもしれませんがね。
豪傑たちの影で~晁蓋・宋江時代の杜遷~
気を取り直して続けましょう、ここから晁蓋、そして後に宋江の梁山泊ができ上ります。まず晁蓋が頭領となり、順位が決められることとなりました。ここで古参の杜遷たちに気を使ったのか、当初、第五位の座を薦められます。ですが杜遷はこれを固辞、新参メンバーを上にして、第九位の座に着きました。嘗てのナンバー2が既に九位、しかしここで終わりではありません。豪傑たちの物語は続いていくのです。
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次々と現れる英雄たちと「窓際族」化
晁蓋たちの入山後から、梁山泊は急に忙しさを増していきます。この中で様々な敵と戦い、仲間を引き入れ、更には宋江救出戦にも杜遷は加わりました。杜遷は様々な戦いに組み込まれていくのですが、最終的には他の人物の配下とされるようになり、その順位は新しく豪傑たちが加わるごとに下がっていきます。とは言え、晁蓋が曽頭市と戦う際には晁蓋に選ばれた十名に入っていることもあり、実力はどうであれ信頼は得ていたのではないかとも伺わせるのですが……。
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相棒・宋万(そうまん)とのニコイチ関係
因みに杜遷だけでなく、古株の宋万もまた順位が下がっていた古参の一人です。済州府からの兵士と戦ったり、宋江の救出戦に参加したり、何気に晁蓋の戦いに選ばれた一人でもあり、この際に敗北こそするものの、杜遷と共に水中に逃れ、命拾いしているのもポイントでしょう。ただ、哀しいのが最終的に杜遷の順位は宋万にも抜かれることになることでしょうか。最終次席は宋万八十八、そして杜遷は八十三。この順位がどこで決められたのかはある意味、永遠の考察の余地なのかもしれません。
杜遷の最期と評価~梁山泊の終焉~
それでは、杜遷の最期に移ります。と這っても杜遷もかなり最古参として長く生きていますので、杜遷の最期はある意味では梁山泊の終焉とも言えるでしょう。梁山泊の命運を決める、方臘討伐戦が始まります。
これに杜遷は穆弘の護衛の任務に付いたり、盧俊義の配下の将校として戦ったりと未だ活躍の場も与えられているのですが、その最期はあっさりとやってきます。因みにここで変装して侵入、場内を混乱に導く働きも見せているので、中々杜遷は多彩だな……とも思われますね。決して無能ではない、杜遷は寧ろかなりマルチな働きをしています。
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方臘(ほうろう)征討戦でのあっけない死
その死に様……というと語弊がありますが、杜遷の退場についても軽く触れましょう。水滸伝における梁山泊の最後の決戦地となった清渓県城、ここで杜遷は退場となります。しかし残念なことに華々しい退場とは言えず、乱戦の最中での戦士となりました。語られるのは敵の騎馬によって踏み殺されての圧死によるもの、これだけになります。余りにも呆気ない退場、人は死ぬ、それも予期せぬ場所であっけなく……とはいえ、梁山泊の最古参がこの退場は、ものがなしさを覚えますね。
考察:杜遷から学ぶ「凡人」の生存戦略
しかしそこまで生き抜いただけでも大したものではないでしょうか。前述したように、杜遷は王倫からも「大したことはない」とまで言われる人物、体格こそ恵まれているものの、豪傑とは程遠い存在です。しかし、忘れてはいけないのが杜遷はその後、己に課された仕事をずっとこなし続けたこと。
ただ一つの作業に特化している訳ではなくとも、様々な任務を任されてやり遂げていること。例え名高い豪傑ではないにしろ、その生き方は凄い、と言って良いのではないでしょうか。他の豪傑と比較してただ「凡人」と蔑むのではなく、そこに何を見出せるか。されが杜遷から学べる、現代にも通じる生存戦略と言えます。
ナンバー2から平社員へ落ちても腐らないメンタル
また情けなさも感じる、とは言いましたが、晁蓋や林冲らに頭を下げて、その下についてでも生き延びていった杜遷は、メンタルの強さでも評価できます。一旦上の身分に立つと、それに慣れてしまい、地位が落ちてから腐ってしまうのは良くあることですが、杜遷はそこで腐ることなく、己の仕事を全うし続けられた。これらの強靭なメンタルを、あの水滸伝の世界を生き抜く上で当初から持ち続けられたのは、驚嘆に値すると思います。
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梁山泊にとって「杜遷」とは何だったのか
最後に一つ、水滸伝の元となったと言われる南宋の説話集「大宋宣和遺事」についてお話ししましょう。この中に「摸着雲」と呼ばれる、杜千という人物が出てきます。まず間違いなく、杜遷の元となった人物でしょう。実はこの人物、登場人物三十六名の一人であり、実は晁蓋よりも上の人物です。まあ三十五位なので何とも言い難い順位ではあるのですが。
ではなぜ水滸伝において晁蓋は第二首魁となったのか。なぜ梁山泊嘗ての第二首領杜遷は地位を落とされたのか。それでいてなぜ、途中で退場する晁蓋と、最終戦まで生き延びていく杜遷という存在が生まれたのか。梁山泊にとって、杜遷とはどんな存在だったのか。これは今後、様々な水滸伝の作品が生まれていく中で、考えていくと面白い題材ではないでしょうか。
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三国志ライター センのひとりごと
嘗てのナンバー2だった杜遷が、どんどんとその順位を下げていくことになる、それが杜遷というキャラクターを追いかけていくと分かってしまう梁山泊の暗部……とは言い過ぎですが。それにしてもこの露骨な順位の下がりっぷりはどういうことなのでしょうか。また面白いのは別段、他の人物に杜遷が嫌われているとか、杜遷自身が悪心を抱いている危うい人物だとか、そういう描写もないことです。
寧ろ悪心を抱いてくれていた方が良かったのか?水滸伝は言ってしまうと悪星の生まれ変わり、そんな奴らからすると自らの地位を追われて順位を下げられ、それでなお変わらず己の仕事を全うする……そんな杜遷の振る舞いこそが理解できなかったのでしょうか?と、ここまで行くと穿ちすぎな考えかもしれません。ですが他の豪傑たちが杜遷をどのように見ていたのか、そんな視点の水滸伝、今後出てきませんかね?
それでは皆様本日も湖の畔で。ちゃぽーん。
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