現在でも数学が苦手という方は、多いと思います。
かくいう私もそうですが、三国志の時代でもキングダムの時代でも
役人になるには、最低、四則演算位は出来ないと落第してしまったのです。
この記事の目次
ソロバンが発明される前の計算方法 算籌(さんちゅう)
中国において、ソロバンが発明されるのは13世紀だと言われています。
では、それ以前には、皆、手か頭で暗算していたのかというと違います。
ソロバンが普及する前の中国には算籌という計算器具があり、
これを利用して、四則演算から、開平、開立、代数方程式までを解く事が
可能だったと言うのです。
算籌とは、どのようなものか?
算籌とは、長さ3センチから15センチ程の細長い棒です。
材料は、木製から骨製、竹製まで様々でした。
発掘されたものでは、キングダムの時代である中国の戦国時代の
遺跡から出土したモノが存在し、老子(ろうし)の道徳経にも
「善く数える者は籌策(ちゅうさく)を用いず」という言葉があります。
これは、計算が上手い人は、算籌なんか使わないで
暗算できるという意味なのだそうです。
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算籌は、どんな風に使用したのか?
では、算籌とは、どのように使用したのでしょうか?
算籌では、細長い棒の集合体を数字の記号に見立てて使用していきます。
ここでは、その記号を紹介しましょう。
算籌では、赤と黒に塗り分けされた棒が登場します。
赤はプラスの数、黒はマイナスの数を表わしています。
算籌では、棒の並びによって、1~9までの数字を表現しますが、
偶数桁と奇数桁で表記の方法が違います。
ちょっと面倒クサイですが、これは、隣り合う桁が混ざってしまう事を
防ぐ為に考案されたアイデアなのだそうです。
算籌では、ゼロはどのように表現したのか?
数学では必要不可欠な0ですが、古代中国では発見されていませんでした。
そこで、0にあたる位は空白にして記したりしていました。
その後、718年に瞿曇悉達(クドンシッタ)によりインド数字から
導入されてから算籌でも、0を使用するようになったとも、
また、中国語で欠字を示した、□が変化したものとも言われています。
算籌を使用して、実際に足し算してみよう!!
では、三国志の時代の人々が、どんな感じで算籌を利用したか、
シュミレーションしてみましょう。
まず、適当に平坦な場所を探して、算籌を用意します。
そして、上の段と下の段に、加えたい数字を算籌で造ります。
ここでは、1355+217という簡単な足し算を用意しました。
あとは、両方の数字の桁を合わせて、1の段から順番に、
計算をしていくだけです。
数字が十を越えると、上の位に繰り上げになるのは今の算数と
同じなので、要領さえ掴むと難しくはないでしょう。
もちろん、木簡につける時にも、この算籌を使う
算籌を使用して、出た答えは、もちろん筆を使って、
木簡、或いは紙に、記号として書きつけていました。
また、書く場合には、黒と赤の色分けで正負の数字が表現できないので
マイナスの場合には、1の位の算籌に斜め線を入れてマイナスとしました。
三国志ライターkawausoの独り言
算籌は1600年以上に渡って、使われつづけた計算方法で、
これを使う事で代数計算のような複雑な計算も可能になります。
13世紀以前の中国は、この算籌によって、世界有数の数学大国でしたが、
ソロバンの普及により算籌が廃れると、高度な数学術も受け継がれず
消滅してしまったそうです。
よくよく考えると、出陣する兵士の数と3食の兵糧と、
戦争の日数など、不特定な要素を割り出すのに、
数学の能力は必要不可欠だったのでしょう。
これは、作戦を考える軍師とは別に会計を預かる官の
頭を悩ました事でしょう。
もしかすると、曹操(そうそう)と軍師達と
会計担当官の間で、今後の戦争の展開について、
経済面と軍事面からせめぎ合いが毎回あったのかも知れませんね。
本日も三国志の話題を御馳走様でした。