三国志の英雄は数多くいても、王にまでなった人物はそう多くはありません。
その中でも「禅譲」を行った……行わせたと言っても、良い人物、それこそ文帝・曹丕。彼は身内を粛清したりするなど冷徹な人物とされていますが、そのイメージは本当に正しいのでしょうか?
今回は冷徹、冷血漢とも言われる曹丕の性格を考察、分析してみたいと思います。
曹丕の酷薄さを表現する弟・曹植
曹丕が身内に厳しい、時に酷薄とまで言われる要因として弟、曹植の存在があります。筆者は横山三国志の「七歩の詩」の曹丕と曹植のシーンを見て「なんで実の弟をこんなにいじめるの!ひどい!」と、とても曹丕に憤慨した過去がありますが、皆さんもこのシーンは見覚え、聞き覚えがあるのではないでしょうか。
このシーンは実弟を追い詰めようとする曹丕、画策する司馬懿のシーンとも言えるシーンです。しかし横山三国志は非常に素晴らしく人生に置いて必読レベルの漫画ですが(個人の偏った感想です)、これはあくまで三国志演義がベースです。
つまりこのシーンだけでは曹丕が冷徹とは言い切れません。そこで曹植は本当に曹丕から冷遇されたのか、そこを踏まえて正史を追っていきましょう。
曹植は不当に冷遇されたのか?
曹植は曹丕の弟で、詩才があったことから曹操に寵愛されていました。
三国志演義では曹操は跡継ぎには曹丕ではなく、曹植を考えていたけれどそれを曹丕が妬んで阻止したように描かれており、また七歩の詩のエピソードなどもこの「曹丕が曹操に寵愛された曹植を妬んでいた」ことを強調することになっています。
ちょっと言い方は悪いですが、曹丕は曹操にチクりみたいなことをやってるんですね、ここで。才能があったから父親に可愛がられる弟への妬み、そして弟を父から引き離すようにして、そしてその父親が亡くなった後は冷遇する……曹丕の冷徹さ、酷薄さが見えます。
しかし正史を見ると、曹丕が何かやったので曹操に後継者から外されたのではないことが分かるのです。
曹植への曹操の愛情は薄れていた可能性
これは樊城の戦いですが、曹仁の救援に曹操は曹植を向かわせようとしました。曹仁は身内同然、色々な面から見てもとても大事な武将です。しかし曹植、なんとこの任務に酔っ払ってしまっていけなくなってしまうのです。この件で曹操は激怒しています。
繰り返しますが曹仁は大事な武将です。その命がかかっている任務を酔っ払って遂行できないなど、もはや性根から問題があると思われても仕方がありません。もしかしたら曹操も内心では曹植も跡継ぎ候補……と考えていたけどこの件できっぱり止めた、となったのではないでしょうか。
評価するべき所は評価して、任せられないと判断すれば情に流されない、それが曹操の判断ではいかと思います。
曹丕の冷徹さと家族への情
また曹植は曹丕から地方を転々とさせられますが、曹丕はこの弟の土地を訪れたり、加増したりとそこまで冷遇してはいません。
これは曹丕の政治運営の話になりますが、後漢は皇帝の外戚が権力を握り過ぎたことで衰退しました。だからこそ曹丕はそれを繰り返さないように、外戚に権力を握らせることを極力避けました。このことが後々、身内への冷たさ、と表現される一因となったのではと思っています。
皇帝ともなればその人間関係には気を払わなければいけません。その潔癖とも言える政治運営は、他人から見ると兄弟でも冷遇する冷たい人間と思われただけで、実際はとても公私の区別をする人物だったのではないか、と筆者は曹丕について考えてしまうのです。
三国志ライター センのひとりごと
曹丕は人の好き嫌いが激しい、と言われていますが、そこにも曹丕がただ冷たいだけでなく「人の好き嫌い」と言われるほどに情を持って人に接していたのだと思います。それを踏まえて考えると、曹丕は実は非常に愛情深かったが、文帝という立場からそれを押し殺していたのでは……?という想像もしてしまいますね。
曹丕に限らず三国志の登場人物たちは一般的なイメージとはまた違った面を覗かせるエピソードがたくさんあるので、それを楽しむのも三国志の楽しみ方の一つですね。
参考文献:
三国志「魏書」曹植伝
世説新語
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