関羽といえば、豪放で冷静沈着、忠義あふれる英雄としての逸話に満ちています。
骨の手術を受けながら平然と囲碁を打っていたとか、曹操に仕えた時の贈り物をことごとく返却したとか、日本の武士道の逸話としても違和感のないような、カッコいい話ばかりが揃っていますね。
ところがそんな関羽にカッコよさを感じながら『三国志演義』を読み進めていくと、どうにもおさまりの悪い逸話にぶつかってしまいます。本稿のライターである私自身も、初めて『三国志演義』を読んだ少年時代に、あまりの異色シーンすぎて戸惑った記憶が強い場面。
「呂蒙の死」の逸話です。
この記事の目次
いろいろな意味でドンビキ!呂蒙をたたり殺す関羽の怨霊の理不尽さ!
荊州争奪戦で関羽が敗死した後、その一番の功績者である呂蒙が孫権の宴席に呼ばれた時に、事件は起こります。
とつぜん形相の変わった呂蒙。孫権のことを「アオヒゲネズミ野郎!」と罵り、上座を奪ってさんざん暴れた後、「お前ら呉を必ず呪い滅ぼしてくれるわ! 私のことがわかるか! きさまらに殺された関羽雲長だ!」と叫んで昏倒。
驚いた近臣たちが駆け寄ると、倒れた呂蒙は体の毛穴から血を流して絶命していた、とのことでした。この逸話、どちらかといえばリアリティ路線であったはずの『三国志演義』の中では、かなり異色な場面である上に、そもそも関羽のキャラがブレちゃっています。
生前はあれだけ公平で冷静だった関羽が、いくら自分を殺した敵だからといって、呂蒙を怪しげな魔力で惨殺するというのは腑に落ちない。たしかに呂蒙は関羽を滅ぼす際にいろいろな計略を仕掛けましたが、関羽のことを畏敬していたがための用意周到な作戦という話であって、そんなに汚い手を使ったというほどでもない。
そもそも呂蒙をイジメ殺すなら、命令者の孫権や、裏で手伝っていた陸遜のほうを呪ったほうが効率的なのに、目先の中間管理職である呂蒙に襲い掛かるというのも、関羽の怨霊にしては、なんだか「しょぼい」。
トドメは、孫権のことを「アオヒゲネズミ野郎」とは。
関羽にしてはずいぶん教養のない言葉遣いというか、小悪役っぽいというか。「孫権のことをアオヒゲネズミ野郎って、関羽どころか、中年をすぎたオトナは普通言わないよな」と、どうしても思ってしまいます。
少年時代のライターが採用した解釈は、「関羽と『関羽の怨霊』は別キャラ」説!
『三国志演義』の呂蒙死亡シーンを読んで違和感を受けた少年時代の私、なんとかこの場面を「無理なく」解釈しようと、ずいぶん頭をひねりました。
赤壁の戦いにおける諸葛亮孔明の「風向きを変えた」祈祷も、「季節の変化を予測していたのだ」という合理的な解釈が採用されている昨今。呂蒙の死亡シーンにも、何か関羽のキャラ属性を殺さない解釈はできないものかと。
そして思いついた結論は、こうでした。「呂蒙を殺したのは、きっと関羽の霊ではなくて、関羽をかたった低級なB級浮遊霊に違いない!」と。言われてみれば、「全身の毛穴から血をふいて絶命!」というのも、ハリウッドB級映画のチープな特撮で演出すればシックリきそうな描写ですし。
「アオヒゲネズミ野郎!」という罵りコトバも、チープな特撮のSFホラーの中で、悪霊が英語で「ユー アー ブルーベアード ラット!」と絶叫しながら襲ってくるシーンだと思えば、セリフとしてしっくりきますね。
「あれは関羽と偽った低俗ゴーストの仕業で、その後、悪霊はあの世でホンモノの関羽の善霊にワイヤーアクションで退治され、呂蒙の霊と関羽の霊も仲直りしたに違いない!」と、少年時代の私は自分を納得させたのでした。
まじめに考察すると、このキャラ崩壊は民間伝承を無理に合体させたせいらしい
呂蒙の死亡シーンの違和感について好きに語らせていただきましたが、日本の作家さんも似たような違和感は覚えている様子。
『三国志演義』にほぼ忠実な描写をする吉川英治も、呂蒙の死亡シーンについては、「関羽の死後、間を置かず呂蒙が病没したため、巷では怪談のウワサが立った」というスタンスで描いています。
三国志ライター YASHIROの独り言
実は、ここで吉川英治が「呂蒙の死がタイミングよすぎたために怪談が生まれた」と言っているのが、この逸話の背景説明としては一番アタリの模様。関羽の亡霊が呂蒙を呪い殺したというのは、正史とは関係のない、民間伝承で生まれた逸話のようなのです。
それが有名だった為に、『三国志演義』の作者が無理に取り入れてしまったものと思われます。無理に取り入れたために、関羽のキャラにそぐわない荒唐無稽な場面が挟まれたという次第でした。
実際、呂蒙の急死は呪いでもなんでもない「たまたま」のタイミングだったということでしょうし、個人的にはあの世で関羽と呂蒙には、どこかで仲直りしていてほしいもの、とも思うのでした。
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