祝融の弟である帯来洞主は、三国志演義に登場する人物。レジスタンス運動の親玉・孟獲をしっかりとサポートする頼もしい存在でした。
蜀軍の南蛮討伐において、もっとも苦しめたのは帯来洞主の秘策だったのかもしれません。それでは、帯来洞主と孟獲のやり取りを中心に南蛮討伐戦を見ていきましょう。
孟獲の義理の弟
帯来洞主。帯来が名前で洞主は村長のようなイメージです。
ちなみに「帯来」は中国語で持ってくるという意味で、「ダイライ」と発音します。中国小説で洞主といえば、権力はあるけどちょっと変わり者というキャラが一般的なイメージです。
姉は祝融で、頭領の孟獲とゴールインしました。
つまり、帯来洞主と孟獲は親戚で義理のお兄さんに当たります。関係も近かったことから、孟獲はことあるごとに帯来洞主と打倒蜀軍について語り合っていました。
木鹿大王の噂
村で会合をしていた孟獲一味。どうやって蜀軍を倒すか議論していました。「誰かいいアイデアのあるやつはいるか?」孟獲が尋ねると一人の男が手を上げます。
「私なら倒すことができます。」
それが帯来洞主だったのです。
「私は名を帯来洞主と言います。
姉は頭領の妻です。」
「そうか。では言ってみろ!」
孟獲は耳を傾けます。
「南西に行くと八納洞という村があります。
村長は木鹿大王と言います。」
「どんなやつなんだ?」
孟獲は腕を組んで尋ねます。
「象に乗っていて、魔法によって風や雨も自由自在に操れます。
虎やヒョウ、狼まで飼っていて、その後ろには毒蛇やサソリがついてくるそうです。鍛え抜かれた兵が3万、これならば蜀軍にも勝てるでしょう。」
孟獲に変装した!?
翌日、帯来洞主は孟獲と姉の祝融が捕らわれたとの知らせを耳にします。すると彼は孟獲に変装して、諸葛亮の天幕へと忍びよります。
まさに中国版ミッションインポッシブル。汗がしたたり落ちる間も緊張するような瞬間です。
どうにかして、諸葛亮の天幕へと侵入した帯来洞主。
変装はあっさり見抜かれ、捕まってしまいます。
ところが、諸葛亮は懐柔策によって、孟獲、祝融、帯来洞主を解放。
孟獲は「まだ降参しないぞ」と捨て台詞を吐き、アジトへと戻るのでした。
南蛮の巨人・兀突骨とは?
1,000人ほどの残党とアジトに帰った孟獲は、ほくそ笑みます。
「おい、帯来洞主よ。
何かいい策はないか?」
「ええ、ありますとも」
「どうすればいい?」
帯来洞主は次の策を語り始めます。
「はるか南東に烏戈国と呼ばれる国があるのをご存知でしょうか。
国王は兀突骨といい、身の丈は3メートル。米や麦は食べず、生きた蛇や猛獣を主食としているそうです。鱗鎧を装備し、刀も通らないと言われています。」
孟獲は先を促します。
「理由は藤の鎧です。藤は山奥の石壁に生え、それに油を塗り、半年ほど乾燥させます。この工程を数十回繰り返して作ると噂されています。」
自信満々に帯来洞主は話を続けます。
「しかも、水を通さないため河を渡るときも浮くことができ、水が鎧の中に入ってくることはありません。そのうえ、どんな剣も通さないそうです。
名を藤甲軍と言います。」
「よし!早く連れてこい!」
帯来洞主、ついに降参か!?
やがて藤甲軍が諸葛亮の火攻めによって、敗北すると孟獲は再び捕まります。
これで七回目です。ついに孟獲と祝融は折れ、帯来洞主もそれに従いました。
こうして南蛮の民は、諸葛亮に敬意を払うとともに降参することを誓います。
しかし、諸葛亮は最後の藤甲軍制圧に際して、多くの戦死者を出し、見るも無残な戦いであったと回想しています。
そして、南蛮の兵や部下の魂が私を恨むかもしれないと感じたとのことです。
三国志ライター上海くじらの独り言
満を持して臨んだ南蛮の最終戦。天が軍配を上げたのは蜀軍でした。
つまり、帯来洞主の策は諸葛亮の知略にかなわなかったことを示しています。
南蛮最強軍の弱点が火であることを見抜いた諸葛亮も天晴れですが、身の丈3メートルのラスボスが登場するとは思いもしなかったでしょう。
まさに三国時代の進撃の巨人です。
やむを得ず、油の鎧に火炎兵器を投入した諸葛亮の苦渋の顔が容易に想像できます。軍師だけに油の鎧に火で対抗したら、悲惨な戦闘になることが戦う前から予想できたのでしょう。
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