紀霊って武将を皆さんご存知でしょうか。正史三国志だと呂布の引き立て役としてしか出てこない武将です。しかし三国志演義だと猛将として活躍したとても勇敢で強い武将なのです。今回はこの紀霊についていろいろと紹介したいと思います。
小沛へ向かって出陣する紀霊
袁術軍の将軍・紀霊。彼は正史三国志ですと呂布の引き立て役として登場する人物ですが、どのような描かれ方をしているのでしょうか。
紀霊は袁術の命令によって劉備の本拠地・小沛を攻略するため、出陣します。
劉備は紀霊が大軍を率いて小沛めがけて軍勢を進ませている事を知ると呂布へ「大変です。紀霊が大軍を率いて小沛へ向けて進んできています。助けてください」とSOS。
呂布は劉備のSOSを受けて、赤兎馬にまたがって精鋭軍を率いて小沛へ向かって行きます。
紀霊は小沛に呂布軍が入城した事を知ると、劉備軍へ攻撃を仕掛けることなく、陣営を作って駐屯。呂布は紀霊が小沛から一里ほど離れた所に駐屯している事を知り、紀霊へ「俺と飯でも食わないか」と誘います。紀霊は呂布の誘いに乗って彼の陣営へ向かう事にします。
呂布の引き立て役の紀霊
紀霊は呂布の元へ到着。呂布は豪勢な食事を用意して紀霊をもてなします。呂布は紀霊へ「劉備は私の弟だ。そのため私は劉備を助けるために小沛へやってきたのだ。
そもそも私は争いごとが大嫌いで、仲裁するのが好きな性格なのだ」ととんでもない事を言い募ります。紀霊は呂布の言葉を聞いて(ばか野郎!!お前がそんな性格をしている者か)と内心思っていたのでしょう。
しかし紀霊はそんなことを表情に出さず、呂布の次の言葉を待っていました。
呂布は役人に戟と弓矢を持ってこさせ紀霊へ「今からこの戟の真ん中に弓を当てるから、もし当たったら戦をやめて帰ってくれないか。
戟の真ん中に弓が当たらなかったら好きなだけ戦って構わない。」と紀霊へ提案します。
紀霊は呂布の提案を飲んで(どうせ当たらねーよバーカ!!)と腹の中でせせら笑うも、表情に出さずかたずをもって見守ることにします。呂布は酒を飲んで戟から数百歩離れた場所から、無造作に弓を戟めがけて放ちます。
紀霊や他の諸将はかたずをのんで呂布を見守ります。
その結果弓矢は見事戟の真ん中に命中。
紀霊は呂布をにらみつけて悔しがりますが、後の祭りです。
紀霊は呂布との約束を守って小沛から撤退することになるのでした。
これ以降紀霊は正史三国志に登場することなく、いなくなってしまいますが、三国志演義の紀霊はどのような描かれ方をしているのでしょうか。
三国志演義の紀霊はすげー強い武将だった!?
三国志演義の紀霊は、正史三国志と全然違う描かれ方をしています。
では三国志演義の紀霊はどのような描かれ方をしているのか紹介していきたいと思います。
紀霊は劉備軍が袁術軍の領地へ向けて出陣してくると、袁術の命令を受けて出陣。
紀霊は劉備の義弟・関羽とぶつかり、一騎打ちを行うことになります。
紀霊と関羽は30合も打ち合いを続けますが、実力が伯仲していて、決着をつけることができませんでした。
このことから紀霊は三国志演義において、関羽に匹敵する強さを持った武将として描かれた武将だったのです。
三国志ライター黒田レンの独り言
紀霊は三国志演義ですと関羽と同等の強さを持った猛将として描かれています。
その後紀霊は劉備の義弟・張飛とも一騎打ちを行っています。
しかし紀霊は関羽と30合も打ち合ったのに、張飛と一騎打ちを行った際は、10合も打ち合わずに討ち取られてしまいます。
張飛が関羽よりも強かったのか。
それとも紀霊は関羽との一騎打ちで全エネルギーを使って弱くなってしまったのか。
どちらが本当かわかりませんが、三国志演義の紀霊の最後は残念な結末を迎えてしまうのでした。
■参考 正史三国志魏書など
▼こちらもどうぞ
裴松之が注をつけていなかったら『三国志演義』は生まれなかった!?