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[戦局解析]徐庶、趙雲隊500騎とともに「八門禁鎖の陣」を突破

2024年1月4日


 

徐庶

 

諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)が登場する前の、劉備(りゅうび)の軍師、徐庶(じょしょ)。彼の見せ場は、なんといっても、新野の地で行われた、曹仁(そうじん)との対決。

 

 

剣を持って戦う徐庶

 

 

ここで徐庶は、相手の陣形が「八門金鎖の陣(はちもんきんさのじん)」であることを見抜き、その弱点を突くよう趙雲(ちょううん)の部隊に具体的な指示を出し、劉備軍を圧勝に導きます。

 

趙雲子龍

 

 

現代風に言えば、敵のフォーメーションを確認し、「理論的に」それを崩す方法を、趙雲に教えたわけです。

 

李斯

 

 

ここでの徐庶の動き方、PCをベンチに持ち込んで指導するデータ重視の野球監督とか、コンピュータールームで相手の布陣を衛星写真から分析しているハリウッド映画のハイテク重視派の将軍、みたいです。格好いい!

 

 

曹仁と曹操

 

 

なお、このとき、曹仁の軍は2万5千。その八門金鎖の陣形を寸断するために、徐庶が投入したのは、趙雲率いる500人の部隊。50倍の軍勢を切り崩し潰走させるという、とても効率的な戦績!

 

 

李儒と三国志

 

 

 

「でも、50倍の戦力差の逆転劇などというのは、三国志演義(さんごくしえんぎ)の脚色でしょう?あくまで物語の中の話でしょう?」と、思う方も、多いかもしれません。そこで、現実の世界史上の戦争で、50倍の敵に挑んで逆転した事例というものがあるかどうか、調べてみました!

 

 

兵士 朝まで三国志

 

 

もしそれがあるのだとすれば、徐庶が見せてくれた、「よい参謀がいれば、50倍の兵力差すらも覆せる」ということが、絵空事でもなく、現実世界でも言える、となるのではないでしょうか?では早速!

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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泗川の戦いにおける、島津家7,000人対数万人の軍勢

豊臣秀吉 戦国時代

 

 

こんな戦例は、いかがでしょう?豊臣秀吉(とよとみひでよし)の朝鮮出兵で、鬼の働きをしたのが、薩摩(さつま)島津家(しまづけ)

 

豊臣秀吉 戦国時代2

 

 

数え方には諸説ありますが、明・朝鮮の数万の連合軍をわずか7,000の兵で撃退した快挙として、知られております。

 

 

薩摩藩の島津義弘

 

 

日本の戦国大名の事例に、このような圧倒的な戦力差からの逆転事例が、ちゃんとあったのですね!・・・え?相手の兵力が「数万」と曖昧では、凄みが、よく、わからない?少なくとも、徐庶の事例、「50倍」のインパクトには、ほど遠い?仕方がないですね、それでは、記録がしっかりと残っている、もっと近代の事例から、探してみましょう。

 

 

 

日露戦争、黒溝台会戦における日本軍8,000対十万人の軍勢

 

黒溝台会戦(こっこうだいかいせん
)
は、ロシア軍十万人が、津波のように攻めてきたところを、日本軍の前線8,000人が、なんとかもちこたえてしまった戦いです。40kmにわたる長大な防衛ラインを死守し、援軍の到着まで引き下がらなかったこの緒戦の奮闘は、日本軍の勝利におおいに貢献しました。

 

すでに気球や機関銃も登場していた近代戦の事例で、こんな戦力差をなんとかしてしまったケースが、ちゃんとあったのですね。え?10倍以上という戦力差は凄いが、まだまだ50倍にはほど遠いですって?仕方がないですね、それでは、これならば、いかがでしょう?

 

 

 

ロンゲワラの戦い。120人で3,000人(プラス戦車45台)を撃破!

戦車隊を率いて活躍する夏侯嬰(かこうえい)

 

これでも、まだ50倍には足りません。しかし、これなら、もう、文句はないでしょう!だって、大事なのは、カッコ書きの中の、「プラス戦車45台」のところですから。これで文句があるという人は、もはや、血も涙もない!歩兵120人で、戦車45台を含めた大部隊に挑んだのは、第三次印パ戦争におけるインド陸軍。

 

状況としては、国境を警備していた120人の歩兵が、パキスタン軍の攻撃にさらされ、空軍が到着するまでの一夜をどう持ちこたえようかと思案した結果、意表をついて逆に夜襲を仕掛けることにした、というケース。虚をつかれたパキスタン軍は大混乱に陥り、そうしているうちに朝がきて、空軍の到着でいっきに形勢は決まってしまったという次第でした。

 

この事例のすごいところは、1971年に起こった話、ということ。古代でも中世でも、近世ですらなく、現代戦と言っていい近い過去から、こんな戦例を拾えるとは!

 

 

曹操軍の輸送車を襲う趙雲

 

 

もし現代戦で徐庶の活躍があったとしたら、これくらいのインパクトで見えることでしょう。趙雲を投入して戦車部隊をも撃破する徐庶!

 

 

 

三国志ライター YASHIROの独り言

三国志ライター YASHIRO

 

それにしても・・・。現代戦に威勢よくまとめてみたつもりでしたが、なんでしょう、この胸にぽっかりと穴が開いたような気持ちは?

 

泗川の戦い、黒溝台合戦、ロンゲワラの戦いと、時代を下ってくるにつれて内容もちゃんと派手なものを紹介できたはずなのに。やはり、最後の事例、ロンゲワラの戦いが、1971年と近い過去であることが、どこか「楽しくなれない」後味の悪さを残すようです。現地のインドやパキスタンには、この戦争をリアルタイムで知っている方々もたくさんいるであろう年代ですし。

 

 

西遊記巻物 書物

 

 

考えてみれば、『三国志演義』がこんなに楽しい読み物なのは、遠い古代の話である上に、脚色がされすぎていて、もはや荒唐無稽の域に達しているおかげでも、あるのではないでしょうか?適度な脚色で、適度に荒唐無稽。

 

 

幕末 魏呉蜀 書物

 

 

それゆえ、私たちは、戦争だらけの物語であるにもかかわらず、安んじて三国志を楽しむことができるのです。だって、三国志を舞台に、「現場の兵士の苦悩を描く」とか、「戦死した武将の遺族の肖像」とか、なまなましい描写があっても、いやでしょう?冷静に数えてみると壮大な死者数が出ているはずの物語が、こんなに楽しいのは、「適度なフィクション」というのがとても大切なポイントなのだな、と改めて思った次第でした。

 

 

年を取った司馬懿

 

 

総括。やはり、平和がいちばん!というわけで、適度にフィクションが混じった三国志の物語を、今宵もゆったり、楽しむことに致しましょう。

 

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YASHIRO

とにかく小説を読むのが好き。吉川英治の三国志と、司馬遼太郎の戦国・幕末明治ものと、シュテファン・ツヴァイクの作品を読み耽っているうちに、青春を終えておりました。史実とフィクションのバランスが取れた歴史小説が一番の好みです。 好きな歴史人物: タレーラン(ナポレオンの外務大臣) 何か一言: 中国史だけでなく、広く世界史一般が好きなので、大きな世界史の流れの中での三国時代の魅力をわかりやすく、伝えていきたいと思います

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