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[五胡十六国の混沌]カオス時代の背後にいたあの人とは?

2024年1月22日


劉禅

 

 

中国史を勉強している人の多くが(つまづ)きを覚えるのは五胡十六国(ごこじゅうろくこく)時代なのではないでしょうか?

 

行軍する兵士達b(モブ)

 

 

西晋滅亡以降中国大陸が南北に分裂するだけでもカオスだというのに、華北の方では異民族たちがわちゃわちゃと…。もうお腹いっぱいですよね。せっかく晋が天下統一を果たしたというのに、一体なぜこんなことになってしまったのか…。実はその種は三国時代にはまかれていたようですよ…?

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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五胡十六国時代とは

西晋時代の北方遊牧民族の領域 Wikipedia

 

(画像:西晋時代の北方遊牧民族の領域Wikipedia)

 

五胡十六国時代という時代の名称は匈奴(きょうど)鮮卑(せんぴ)(かつ)(てい)(きょう)の5つの異民族と北魏の崔鴻(さいこう)という人物が著した『十六国春秋(じゅうろくこくしゅんじゅう)』という書物をもとに付けられたものです。西晋が滅亡した後、漢民族は南に逃げて東晋王朝を立てましたが、漢民族の力が及ばなくなった華北では5つの異民族たちによって「ヒャッハー!俺らも何か王朝つくっちゃおうぜ!」というフィーバーが巻き起こり、王朝が次々に乱立する事態が発生します。

 

匈奴は前趙(ぜんちょう)()北涼(ほくりょう)

鮮卑は(ぜんえん)後燕(こうえん)南涼(なんりょう)西秦(せいしん)

(かつ)後趙(こうちょう)

氐は成漢(せいかん)前秦(ぜんしん)後涼(こうりょう)

羌は後秦(こうしん)という王朝を次々に立てました。

 

はじ三倶楽部 スマホの誤変換でイライラする参加者(はてな)

 

 

…あれ?数えてみると12しかありませんね。実は、異民族だけではなく、漢民族も頑張って4つの王朝を立てています。前涼(ぜんりょう)(ぜんぎ)西涼(せいりょう)北燕(ほくえん)です。五胡十六国時代6つの民族がしのぎを削っていた時代だったというわけです。

 

 

 

晋の政治が腐敗して反乱が起こった挙句異民族がヒャッハー!

異民族に悩む普

 

 

しかし、そもそもなぜ西晋王朝は倒れてしまったのでしょうか?

 

三国志を統一した司馬炎

 

 

 

実は、天下統一を果たした後の司馬炎(しばえん)は安心しきってしまったのか、とんでもないダラ男に変身。女と遊んでばかりで政治を(ないがし)ろにしてしまうようになってしまいます。更に、司馬炎の次に即位した恵帝・司馬衷(しばり)も皇太后・楊芷(ようし)の父親や皇后の賈南風(かなんぷう)の言いなり。

 

そんなことで政治がうまくまわるはずもなく、諸王の怒りが爆発し、八王の乱が巻き起こってしまいます。彼らは異民族を傭兵として活用し激しく争ったのですが、もはや晋は国の体裁を保つことも難しい状況に。その様子をよく見ていた異民族たちは、「これはチャンスだ!」と立ち上がります。

 

 

匈奴の劉淵

 

 

中でも力を持ったのが匈奴の長・劉淵(りゅうえん)です。

 

「漢」を建国宣言して勝手に独立した劉淵

 

劉淵は漢王朝の末裔と自称し、漢(のちの前趙)を建国。その結果、せっかく八王の乱が落ち着いてきたかと思ったのに、更なる内乱・永嘉(えいか)の乱が勃発してしまったのでした。最終的に八王の乱の最中にちゃっかり皇帝の位についていた孝愍帝(こういんてい)司馬鄴(しばぎょう)が匈奴が立てた漢に降伏したことにより五胡十六国時代が幕を開けたのです。

 

 

八王の乱

 

 

そもそもの原因は三国時代のあの人の「おいでよ!異民族の町」

曹操

 

異民族の傭兵を活用したことがかえって仇となってしまった西晋王朝。しかし、彼らが軽々しく異民族を傭兵として雇ったことにはある理由があったのです。実は、その当時異民族は西晋の領土の周辺に住まわされていました。司馬氏が呼び込んだのではありません。

 

皇帝に就任した曹丕

 

 

三国時代に曹操(そうそう)曹丕(そうひ)がちゃっかり「異民族はこのあたりに住んで~!」と移住させていたのです。晋が魏にとって代わっても周辺に異民族がいる状況は変わらず、むしろ当たり前の存在、隣人となっており、友好関係を築けていたそうな。しかし、西晋の人々もそんな彼らがまさか牙を剥いてくるとは思っていなかったでしょうし、曹操や曹丕もそんなことは想定していなかったのではないでしょうか…。

 

 

中華再統一後も実質異民族王朝が続く…

中華再統一後も実質異民族王朝が続く

 

 

 

結局、五胡十六国時代は鮮卑の王朝・北魏による華北統一で幕を閉じます。その後、南北朝時代を経て隋が中華の再統一を果たすのですが、隋の皇帝として君臨した楊氏も鮮卑系、その後に立てられた唐の皇帝・李氏も鮮卑系らしいので、実質的には異民族王朝が続くことになったようです。

 

 

三国志ライターchopsticksの独り言

三国志ライター chopsticks

 

異民族たちがしのぎを削った五胡十六国時代はやっぱりカオスですね。しかし、この時代が訪れる原因をつくったのが三国時代の曹操や曹丕だったというのはなんだかおかしくて笑ってしまいます。もしも曹操や曹丕が異民族を移住させていなかったら中国史はもう少しだけ簡単になっていたかもしれませんね。

 

 

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清朝考証学を勉強中。 銭大昕の史学考証が専門。 片田舎で隠者さながらの晴耕雨読の日々を満喫中。 好きな歴史人物: 諸葛亮、陶淵明、銭大昕 何か一言: 皆さんのお役に立てるような情報を発信できればと思っています。 どうぞよろしくお願いいたします。

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