蜀の劉備の弟分、張飛。劉備が蜀の主となり、張飛自身も相応の身分となった頃、高名な名士の劉巴のところでお泊まりしたことがあります。その時、劉巴は張飛を軽んじて言葉を交わすことすらしなかったため、張飛はカンカンに怒ったのですが、劉巴に対しては何も言えず、後から諸葛亮に愚痴を聞いてもらったようです。
その武勇は一万人にも匹敵すると言われ、長坂橋では曹操の大軍を一人で食い止めた暴れん坊キャラの張飛が、どうして非力な文人に文句の一つも言えなかったのでしょうか。
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張飛が劉巴のところにお泊まりした話
この話は正史三国志劉巴伝の注釈に引用されている『零陵先賢伝』にあります。張飛が憤慨した、という記述の後に、諸葛亮が劉巴に意見する場面になるので、張飛が劉巴に対して何も言えなかったとも諸葛亮に愚痴ったとも明記されていませんが、状況からしてきっとそうでしょう。諸葛亮は劉巴にこう言いました。
「張飛は根っからの武人ですが、あなたのことを敬慕しています。主君(劉備)が文武一体となって大事業を成し遂げようとされている今、あなたのような高潔な方でも少しは妥協しなければ」
これに対する劉巴の返事
「大丈夫たるもの、世にあっては四海の英雄と交わるべきである。兵卒ごときと語らうことなどできようか」
劉巴は武人の張飛のことを会話する価値のない下郎だとみなしたしたんですね。古代中国の知識人は実務をこなす階層の人に対して差別意識を持っていました。名士は名声と学識と誇りと人脈、そして人脈から得られる情報だけが頼りで生きている人たちなので、実務をこなす階層の人物と付き合って名声に傷をつけるわけにはいかなかったのでしょう。
劉巴の言葉を伝え聞いた劉備オヤビンは「アンニャロー!俺の事業に協力する気あんのか!」と激怒したそうです。
上に卑屈で下に厳しい張飛
三国志張飛伝にこんな記述があります。
関羽は兵士たちへの対応はよかったが士大夫に対して傲慢であり、張飛は君子のことは愛敬していたが小人のことはあわれまなかった。先主(劉備)はつねづね張飛にこう注意していた。「お前は刑によって人を殺すことが多すぎる。また、兵士を鞭打っておきながらその者たちを身近においているが、これは禍のもとだぞ」こう言われても張飛はふるまいをあらためなかった。
「張飛はふるまいをあらためなかった」は後に張飛が部下に暗殺されるフラグになっています。ここに表れているのは上には卑屈で下には厳しいパワハラ上司のような人物像ですが、張飛がどうしてそうなったのか、経歴から想像してみましょう。
がれきと焼け野原の中で起業した三人
後漢末期。天候不順、政治腐敗、黄巾の乱。地位も名誉も財産も何もなかったけれど大きな志だけは持っていた劉備オヤビンが街のゴロツキを集めて挙兵した時に、関羽と張飛は劉備の護衛になりました。兄弟のような固い絆で結ばれ、いかなる艱難辛苦もいとわず劉備と苦楽をともにしてきました。
三人とも、なんにも持っておらず何者でもなかった頃からがむしゃらに頑張ってきたんですね。企業小説風に考えれば、戦後の焼け野原で日本の復興を夢見て小さな町工場を開いた三人、というような絵面でしょうか。張飛が劉備に従うようになったのは少年の頃だったそうですから、最終学歴は中学校といったところでしょう。
事業が軌道に乗り始める
劉備たちは数々の戦役に奔走し、地道に存在感を増していきました。大きな群雄の下請けで働き、領地や官職を与えられ、張飛も一軍を指揮するようになりました。創業当初は自宅ガレージを改造した工場で製造をしていた桃園製作所が郊外に敷地面積3千坪の工場を構えたくらいの感じです。裸電球の下で毎晩遅くまで指先をオイルで真っ黒にしながら製造していた張飛も、今では15人の部下を抱え、ビジネスバッグを抱えて営業に飛び回っています。
エリートの採用で飛躍する
いつまでも下請けに甘んじていた桃園製作所ですが、徐州閥の御曹司で荊州セレブ界でも顔が利きハーバード大卒でMBAを取得していて国際弁護士なのにニートという変わり者の諸葛亮を雇用すると、一挙に飛躍します。
これまでに蓄積してきたノウハウを活かして自社オリジナルの製品開発に着手、特許やライセンス関係の管理を徹底させ、荊州南部に地盤を築きつつ、ERPを導入して国際展開を図ります。関羽は荊州本社代表取締役副社長、張飛は社長の劉備とともに益州市場開拓に赴き巴郡支社と漢中出張所を拠点として戦いに明け暮れる日々です。
世界にはばたく劉備グループ
今や桃園グループは様々な業態の子会社をかかえる国際企業グループとなりました。張飛はTY Langzhong Machinery Inc.(桃園閬中マシナリー株式会社)の社長として、財界人の会合や文化人を交えたパーティーに出席する立場です。
偉くなっても現場第一主義で、時間があれば工場に顔を出し、一流大学卒の新人社員に「クレーンの下を歩くな!」と怒鳴ったり、ヘッドハンティングで採用してきた中堅社員を「金属クズあふれさせてんじゃねえ!」と叱りつけながらポカリとやったりしています。一方、文化人との交流は苦手で、どう相手すればいいか分かりません。会話もできない下衆な成金野郎とでも言いたげな無礼な態度を取られても、あいまいな笑顔を浮かべながら我慢することしかできません。
そして、文人でありながら高級オーダーメイドシャツ(※)の上に作業着を着込んで平気で重機の下に潜ったりする仕事熱心で信頼できる諸葛亮にこっそりと電話をかけ、「俺ぁ学問こそないが人から後ろ指をさされるような仕事はしたことねえんだ。あの人らのああいう態度はあんまりじゃあねえかい」と愚痴を聞いてもらう毎日。
三国志ライター よかミカンの独り言
上には卑屈で下には厳しい、というと最低な人のように聞こえてしまうのですが、張飛の場合、兵士たちとは気心が知れているから遠慮なく振る舞えたけれども名士は違う世界の人間だから勝手が分からなかっただけなのではないでしょうか。
名士に暴力をふるうわけにはいかないし、口げんかをしても絶対に負けるし。ひたすら「あなた方を尊敬しています」という態度をとって、仲良くしてもらえるように努力するしかなかったのだと思います。
(※)高級オーダーメイドシャツ
諸葛亮は清廉な人物であり着道楽ではないが、機能性重視で高価なオーダーメイドシャツを着用している。背が高すぎて既製品が身体に合わないという事情もある。自ら設計したフルオーダーメイドで、007のボンドカーのような多機能を備えている。このハイスペックシャツに身を包み、目からビームを発射する敵のサイボーグ司馬懿と戦うのだ。
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