三国志の英雄、曹操・劉備・孫権。いずれも皇帝になりました(曹操は死後に追諡)。
皇帝というと、ラストエンペラー溥儀まで続いた清帝国の皇帝のような絶対権力者を思い浮かべますが、曹操たちのような群雄の立場はそれとは比較にならないほど弱いものでした。現代社会にたとえれば、株式会社の雇われ社長のようなものです。
この記事の目次
雇われ社長とは
株式会社は株主さんに資金を出してもらって、そのお金を使って事業を行っています。このため、株式会社は株主の理解を得られるような経営をしなければなりません。社長が株式の過半数を持っていれば自分の好きなように経営ができますが、そうでなく、他に大株主がいる場合には、その株主さんが納得するような経営をしなければなりません。こういう立場の社長のことを、雇われ社長といいます。
三国志の群雄は国のオーナーじゃない
三国志の群雄はわずかな私兵で挙兵した人たちですが、それだけでは天下に覇を唱えるには足りません。プランと手腕はあっても資産がない状態です。天下の実体を握っていたのは各地に根を下ろしている豪族たちでした。豪族たちは土地を有し、農奴や私兵を囲い、荘園を営んでいました。
後漢末期、天候不順や搾取によって暮らしに困った人々が流民化し、世の中が物騒になるなか、豪族たちは自分の気に入る群雄に援助して、自分たちが安心して暮らせるような世の中にしてもらうことにしました。豪族たちが株主、群雄が社長、という関係です。
豪族たちの動向をとりまとめるフィクサー「名士」
豪族は地元に根を下ろして資産を持っているのですが、天下大乱のおり、どの群雄に援助すればおトクなのか、判断に迷ったことと思います。近場のことは把握していても、天下のことまでは分かりません。誰か情報通の人のアドバイスが欲しいところです。
三国志の時代には、儒教的教養を身につけ広い人脈を持ち情報通で弁も立つ、名士と呼ばれる人たちがいました。荀彧、周瑜、法正といった類の人たちです。「あの人があの群雄につくことを決めたんだったら、自分もそっちにつこうかな」という感じで人望が集まるので、群雄は名士を取り込むことに成功すると政権が安定します。
名士に背かれると国を失う
群雄が持っているのはプランと手腕だけです。その部分について名士たちが認めてくれていれば天下を手に入れることもできますが、名士たちに気に入ってもらえなければ、名士たちが他の群雄を国に引き入れてしまい、地盤を失ってしまいます。
例えば、益州に割拠していた群雄の劉璋は、自分に対する忠誠心の高い東州兵という部隊の軍事力を背景に、ある程度自分の好きなように統治を進めていたものと推測されますが、彼の統治を嫌った名士たちに見限られ、新しい統治者として劉備を引き入れられてしまい、劉璋はその地位を失っています。
重要政策を自分の一存で決められなかった孫権
北方を支配下に治めた曹操が南方への遠征を始めた時、孫権の勢力は曹操に降伏するか抗戦するかで議論が紛糾していました。孫権自身は降伏などしたくなかったのですが、名士たちの多くは曹操に降伏したほうがいいと考えていました。この時は名士層のプリンスである周瑜が孫権を支持したために抗戦することに決まりましたが、周瑜が味方してくれるまでは孫権の思うように進まなかったことから、群雄の立場の弱さを垣間見ることができます。
三国志ライター よかミカンの独り言
三国志の時代には、君主の立場は弱いものでした。臣下は君主に服従する者ではなく君主をかつぐ支援者であって、自分たちの意志によって仕えることも辞めることもできましたし、他の君主に乗り換えることもできました。
君主は下々の意向をよく汲んで、支持されるような政策を打ち出さなければその地位にいることはできませんでした。群雄たちは現代の会社経営者のように、支援者の意向と自分の理想のせめぎ合いの中で事業を進めていたのです。
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