三国志の中で一番暴虐の限りを尽くした董卓。董卓は大金持ちから金品をかっさらい、自分に楯突く人々を殺害したりととんでもない武将でした。正史三国志を制作した陳寿は董卓の事をこのように評価しています。
陳寿曰く「董卓は残忍で暴虐非道であった。記録に残されている限りでこれだけ酷いことをしたのは彼だけであろう」と述べています。陳寿からこのような評価を受けた董卓ですが、彼のお墓は存在しているのでしょうか。
董卓は死後どうなったの??
董卓は皇帝に会うために宮殿に到着したところを王允の陰謀に加担していた、呂布の一撃によって殺害されます。長安は董卓が亡くなった事で恐怖政治から解放され、皇帝や民衆達は大いに喜んだそうです。さて死体となった董卓は殺害後市場にさらされることになります。
董卓の遺体を見張っていた役人は夜寒かったのか、董卓のお腹のへそに火をつけられることに。死体に火をつけるなんてとんでもない罰当たりな行為ですが、董卓が今まで行ってきたことに比べれば対したことじゃないと考えていたのかもしれません。
董卓の遺体を見張っていた役人は董卓のへそに火を点け、董卓のへそについた火は闇を照らし、数日間火を灯し続けたそうです。このように極悪非道の董卓は市民や文官、将軍達の見せしめとなります。
董卓は三国時代にどこに葬られたの!?
董卓は市場に晒されてへそに火をつけられて放置プレイされ、董卓の体はこのへその火のせいで灰になって残ったそうです。その後董卓の元部下・李傕や郭汜、張済らが長安を奪い返し、董卓を殺害した王允らを処刑。彼らは董卓の灰を集めて柩に納め、董卓の本拠地だった郿に埋葬したそうです。
董卓の柩を郿へ埋葬した時のエピソードをご紹介しましょう。李傕達は董卓の柩を郿へ埋葬します。しかし董卓の灰を集めた柩を土の中に入れて埋めた後、ものすごい暴風と雨が吹き荒れ、せっかく埋めた董卓の柩を地上に押し出します。
董卓の元部下達はこのような事を何度か行いやっと柩を土の中に収めたそうです。一人の人間を埋葬しようとしているのに中々埋葬できないなんて、現代じゃ絶対にありえない事柄で、本当にあったか怪しいですが、董卓が天にも恨まれていたことがこのエピソードでお分かりになるのではないのでしょうか。
董卓のお墓は存在するの!?
さて現代に董卓の墓は存在するのでしょうか。中国に董卓のお墓はしっかりと残っていました。董卓のお墓は河南省鞏義市大峪溝鎮董陵村にあります。地元では董卓墓で通じるのだそうです。ですがこの董卓墓に董卓の灰が収めてあるのかはわからないそうです。また董卓のお墓には荒らされた形跡が残っているそうです。董卓の墓の中には一体どれだけの金軍財宝が残っていたのでしょうか。考えるだけでも相当な金額になり、董卓の墓を荒らした人物は超大金持ちになったのではないのでしょうか。
董卓のお墓までどうやって行くの??
三国時代の暴虐非道の代名詞・董卓のお墓までどのようにしていけばいいのでしょうか。まず成田空港から国際線の飛行機に乗り、中国の鄭州国際空港を目指します。成田から鄭州国際空港まで約4時間半程で到着するそうです。そして鄭州国際空港から董陵村までバスで約1時間半程で到着。この董陵村にある鉄塔を登ると董卓のお墓に到着します。
三国志ライター黒田レンの独り言
いかがでしたでしょうか。今回は董卓のお墓をご紹介しました。結構な長距離移動になりますので、暇つぶしのスマホアプリをダウンロードしておく事は必須でしょう。しかしアプリばかりやっていると直ぐに許容データ使用量がなくなってしまうかもしれません。
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